小松裕先生追悼文④完
小松裕先生追悼文④完

6、国策「無らい県運動」とF事件
 映画「新あつい壁」のモデルになった事件は、熊本県内のある村で実際に起きた事件だ、この事件の背景には、国と地方自治体が進めて来たハンセン病に対する偏見から行われた「無らい県運動」が深く関わっている。1951年の11月、参議院厚生委員会では「癩予防法の廃止」か議論された。参考人として呼ばれた、菊池恵楓園の宮崎松記、多磨全生園の林芳信、長島愛生園の光田健輔、以上の三園長は、予防法を更に強化することを訴えた。その結果、廃止されるべき予防法が「強制隔離と懲戒拘束権」が更に強化される結果となった。 
「光田健輔の師である、医学者入澤達吉は、政府が設置した鉱毒調査委員会の委員として、足尾鉱山を原因とする銅中毒の存在を一貫して否定してきた学者であることは偶然だろうか」と小松先生は指摘している。
7、不公平裁判によって命を奪われた 
Fさんは、不公平裁判で有罪へと追い込まれて1953年8月29日、死刑判決を受けた。9月7日、福岡高裁に控訴、5回の出張裁判後に控訴棄却、1審判決通り死刑判決が下された。
そして、9月12日、最高裁に上告。1956年4月と1957年3月に口頭弁論が2回開かれたが期待は裏切られ8月23日、上告棄却判決が確定した。
弁護団は、直ちに「不当判決」を弾劾し、再審請求をしたが、1962年9月13日に再審請求は退けられ、その翌日の14日、家族にも弁護団にも、本人にさえ知らされずに早朝より福岡拘置所に移送し、その日の午後、死刑が執行された。
8、なくならない差別と偏見 
 ハンセン病に対する偏見と差別はまだまだなくなったとは言えない。療養所の方たちが「故郷へ帰りたい」という思いを叶えさせてはくれない。
 「もう良いかい 遺骨になってもまーだだよ」これは、療養所の入所者が詠まれたものだが「せめて死んでからは故郷の地に眠りたい」というささやかな希望さえ叶えさせてくれない厳しい現実がある。あまりにも悲し過ぎはしないか。私は、小松先生の意思を引き継ぎ行動して行くことを再度誓いたい。

このブログを読んでいただいた皆様へ
長い拙い追悼文を読んでいただき有難うございました。
小松先生は、田中正造翁の精神に生きた文学者であり哲学者でもありました。
田中正造翁と小松先生の教えを受け継ぐ政治家が増えればこの国も少しはましな国になると思います。
 真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるなり・・・1912年6月17日 田中正造

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【2017/06/20 16:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
(著書)美しい地球と未来を子供たちに ㈱ぱんたか刊 1300円 この本を送料・税込み1000円で差し上げます。

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