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島原普賢岳大火砕流から16年
 昨日は、平成3年6月3日午後4時8分に、雲仙普賢岳で発生した大火砕流で43人の犠牲者を出した16年目の追悼式が島原市でありました。
 当時、私は島原市から約20キロ南西の西有家町(現南島原市)に住んでおりました。
 平成2年11月17日の早朝、自宅前から普賢岳山頂に一筋の白煙が昇っているのを役場の職員さんたちと眺めながら「噴煙」だと聞き「これで観光客が増えるのでは・・・」などと呑気なことを話しておりました。
 ところが、島原火山測候所が調査してみると地下からマグマが上昇してきているということで、溶岩は日に日に突出してきて、やがて急斜面を流れ落ちるようになりました。夜は、流れ落ちる溶岩が赤く綺麗に見えて写真撮影にも出かけたものです。
 しかし、その溶岩流は酷くなる一方で「火砕流」と呼ばれるようになり、流れるたびに真っ黒な火山灰が上空高く舞い上がり風下地域に降り注ぐようになりました。
 そして、運命の3年6月3日午後4時8分、雨が降っていて見通しがきかない悪天候の中に発生した大火砕流は、報道関係者やその人達を運んでいたタクシーの運転手、警戒をしていた地元消防団員、警察官など43人の尊い命を奪い去ってしまったのでした。
 この日の風向きは、熊本市方面へ吹いていた為に熊本市内周辺地域には泥雨が降り注いだのです。
 当時の市長が、後に「ひげ市長」として語り継がれることになる鐘ヶ江管一氏であります。
未曾有の、いつ止むとも分らない災害の中で「人命を守る」ことを最優先された鐘ヶ江市長は「警戒区域」の設定による住民からの賛否両論の非難の声もあり大変なご苦労でありました。
 結果的に、鐘ヶ江市長の苦渋の決断がそれ以後、火砕流による犠牲者を出さずに済む事になったと思います。
 今でも島原市、旧深江町に行きますと火砕流で焼けた家や土石流で埋まった家など、当時の災害の悲惨さを見ることができます。
 火砕流で亡くなられた43人の方々と災害による心労や病気で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。       (合掌)
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【2007/06/04 09:56】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
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