(藤井) ② ありがとうございました。 マニフェストの達成率については、81%ということですが、任期の丁度なかばで地震災害が起きましたので、よくできた方だと思います。
昨年4月の熊本大地震は、想像を絶する未曾有の災害でありました。 また、水害も地震災害に追い打ちをかけるような災害でありました。 恐らく、熊本県民の殆どの人が予想しなかったことと思います。 あの地震災害、水害の時の市長、副市長はじめ各部長、職員一丸となって災害対応に当たられたことを私も高く評価しております。 特には地震によって、市役所本庁舎の4階と5階が倒壊するという甚大な被害を受けて使用できなくて、駐車場にテントを張って災害対策本部を設置し、市民の安否確認と安全確保、全国から届けられる救援物資の受け入れから配布など本当に大変でありました。 市長もあの時ばかりは、随分と痩せられてスマートになられており、正直なところ健康を害されないか心配したことでありました。
そこで、市長ご自身では、あの時の対応を振り返ってどのように考えておられますか、お伺い致します。
(元松市長) 4月14日(木)21時26分、突然発生した大きな揺れ。 益城町では震度7が記録され多くの家屋の倒壊が映像として飛び込んできました。 震度5強を観測した宇土市においては、職員が緊急参集して避難所の設置を行うと共に、消防団の応援を得て市内全域の被害状況確認に走り回りました。 この夜は指定避難所に千数百人の方が避難されましたが、益城町ほどの被害は発生しておらず、「この程度で済んで良かった」と胸を撫で下ろしたところでした。 ただし、市庁舎は夥しいほどのクラックが確認できましたので、余震が収まるまでは安全のために立ち入り禁止の措置をとると共に、4月15日(金)の市役所通常業務を全面停止とし、罹災証明の受付窓口のみ設置して対応しまし。 15日の夕方頃には、余震も少し収まってきて、避難されていた方の多くが帰宅されました。 私たちも徹夜明けで夜まで役所に残りましたが、市全体が少しずつ落ち着いてきたこともあり、一部の職員を除き翌日に備えて帰宅しました。
そして発生したのが16日(土)1時35分の本震でした。震度6強を観測したこの地震は、議員の皆様も体験された通り、前震とは比較にならない猛烈な揺れで、地面が切り裂かれているのではないかと錯覚するほどの凄まじいものでした。 本震直後、幼稚園教諭も含めてほとんどの職員が徹夜明け、さらに緊急招集のメールも送れない状態の中にも関わらず自主参集してくれました。実は平成25年度と27年度に職員の非常呼集訓練を行っていました。実施日時を特定せずに抜き打ちで実施する訓練でしたが、その訓練の成果がはっきりと現れていました。 とは言え、市役所本庁舎は4階5階が崩れて立ち入りすら出来ず、電話回線も1回線しか使えない状況になりました。恐らく、多くの市民の方が市役所に電話を入れられたものと思いますが、それらの電話連絡には、数日間、ほぼ対応できなったという状況でした。防災無線に関しては、市役所内からの放送は出来なくなりましたが、幸い消防無線との連携機能は生きておりましたので、職員が消防署に張り付いて対応したところでした。 また本震直後には津波注意報が発令されたこともあり、高台や広場に逃げる車両により市全体がパニック状態になっていました。 緊急の災害対策本部会議で、16か所の避難所(後に福祉センターは閉鎖)を開設すると共に、市民の皆さんに落ち着いて行動していただくためにナイター設備のあるグラウンドの照明の全点灯、学校校舎の全点灯を行いました。 大きな余震も頻発し、耐震構造であった別館や福祉センター内に留まることが出来ず、災害対策本部を庁舎裏駐車場に設置したテント内に移しました。 16日夜の時点で、15か所の指定避難所には6500人ほどの方が避難され、地区公民館なども臨時の自主避難所となりました。また車の乗り入れが可能な公園やグラウンド、高台に繋がる道路は車で溢れており、車中泊をされる方が夥しい数にのぼりました。あくまでも推計ですが、この時自宅外に避難された方は20,000人に及んだものと思っております。 その後、4月19日に市役所機能そのものを市民体育館に移転するなどして災害対応にあたってきました。全体的なことで感じたことを幾つか紹介させていただきます。
被災者でもある多くの市民の皆さんが、困っておられる方々の支援に汗を流していただいたボランティア等として支援にも当たって頂きました。また独居高齢者の皆さんを支えて頂いたのが近所或いは地域の皆さんであったことなど、改めてしっかりとした「地域の絆」があることを強く感じました。大規模災害では「公助」には限界があります。この「共助」の大切さについては今回の災害を教訓として、更に強くなるよう取り組んでいく必要があります。 また、行政機能が停止するという大混乱の中、長崎県や沖縄県の自治体、千葉県柏市、奈良県奈良市、鹿児島県日置市をはじめ全国の自治体から人的派遣を頂きました。当初は職員を避難所に張り付けざるを得ず、完全なマンパワー不足でありましたが、これらの派遣応援の方々に避難所運営を引き継ぐことによって、何とか通常業務の再開に漕ぎ着けることができました。 また救援物資についても、全国から大量の物資を頂きました。発災当初は備蓄の水・食料がすぐに枯渇しました。熊本県の動脈である高速道路や国道3号が寸断されたこともあり、本震後数日は危機的な状況におかれました。このような中、山崎パンやフジパンからの大量のパンの提供があり、また鹿児島県日置市からの救援水等によって何とか耐え凌いだ状況でした。 その後、道路の復旧が進んだ20日頃から全国からの物資が届き始め、物不足は解消に向かいました。 これらの救援物資を一人でも多くの方に届くようにと、ボランティアの皆さんに配給部隊を編成していただき市内10数箇所で移動配給を行いました。市職員のマンパワー不足が深刻な中、ボランティアの皆さんのお力添えによって実現できたものでした。 また宇土市が加入している全国青年市長会の災害相互応援要綱に基づく支援等により、全国から数多くのブルーシートや土嚢が届きました。熊本全体が物資不足に陥っているなか、宇土市においてはブルーシートを住民に対して無償配布(拠点配布のほか移動配布も実施)を行ったほか、手持ちが底をついた他の自治体に対しても供給することができました。 ブルーシートは高価なのですが、それを数多く送って頂いた自治体や企業の皆様には心から感謝しています。 このような物資の受け入れや、瓦礫の撤去などにも多くのボランティアの方々のお力添えを頂きました。特に若い中学生や高校生も大活躍で、高齢世帯などの後片付け等において大きな力を発揮してくれました。
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