「高額所得者にこそ負担増を」熊日新聞に投稿が載りました。
 28日の熊本日日新聞朝刊、読者のひろばのトップに私の投稿記事が掲載されましたのでそれを紹介します。

 自民党の古賀誠選対委員長は17日、道路特定財源の一般財源化後の使途や今後本格化すめ税制論議に関して「消費税率を含め真剣な論議が必要だ」と指摘した。
 経団連の御手洗会長も先日、「来年度の基礎年金の国庫負担引き上げに伴い、消費税を7-8㌫に引き上げる準備をするべきだ」という見解を示されたという。
 私は、税制論議の中に「所得税見直し論」が全く出てこないのが不思議でならない。現行の所得税の最高税率は40㌫。99年から06年までは37㌫だった。1983年まてぜの10年間は、課税所得8千万円超は75㌫で8千万円は70㌫、1800万円は50㌫だった。
 つまり、高額所得者には大幅な減税措置が続けられているのである。「金持ち優遇税制ありき」ではないか。
 一方では、低所得者ほど負担増になる消費税は3㌫から5㌫に引き上げられ、格差拡大に拍車を掛けている。高額所得者こそ、欧文の負担をするべきではなかろうか。
 後期高齢者医療制度や、道路特定財源と特別会計の無駄遣いを放置してガソリン税の暫定税率を復活し、低所得者に負担を強いるばかりの政策は間違ってはいないか。
 政治家の良心に問いたい。

 という内容です。
金曜日の夜、NHKで九州限定の後期高齢者医療制度についての討論番組が放送されました。
 その中で、鹿児島大学の伊藤周平教授は、「この医療制度は根本的に間違っている制度であり即刻廃止すべき」として、税制に関しても全く私の意見と同じことを言っておられました。
 つまり、「高額所得者ほど所得税は軽減されているその税率を元に戻せば(上げれば)8兆円の税収になる。また、高級品に掛けられていた物品税も復活させれば良い。そうすれば、こんな75歳以上を別枠にする医療保険制度は必要ない」という発言をされました。
 他にも、同様の意見が多く出されました。
 後期高齢者医療制度に賛成する意見は極めて少なく、その根拠もしっかりしていない意見でありました。福岡県の麻生知事も視聴者を納得させることはできませんでした。
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【2008/05/31 01:05】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
一家心中事件で宇城市役所の対応に批判の声が
 三角港での一家7人心中事件で6人が亡くなりましたが、その事件に関して、宇城市の税務課の職員が営業用の車を差し押さえたことに対する批判の声がインターネットのミクシィで出されています。
 おそらく、他にも多く出されていると思います。
 意見の中には、「国税徴収法で未納者が営業活動や生活に欠かせないものは差し押さえしてはならない」という規定があるそうで、「それに反するのではないか」というのもありました。
 もうしばらくは、宇城市に対する非難の声は続きそうです。
 将来のある幼い子供達、少年達と家族を追い込んだ責任は問われてしかるべきだと思います。
 当事者の職員さんには気の毒ですが、ほんの少しのやさしさと思いやり、ゆとりがあったなら防げた悲劇だと思います。
 この姿勢が、国の姿勢であり地方自治体の姿勢だとしたらこの国は、益々不幸な方向へ進むでしょう。
【2008/05/30 00:02】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(4)
小泉元総理の失言・・・これがこの男の本質
 いつも読ませていただいている天木直人さんのブログを読んでいたら、写真週刊誌FLASHに小泉元総理が、講演の中で格差社会について発言した言葉を同誌が批判していることを書いておられましたので、早速、コンビニによってその週刊誌を買い求めてきました。
 滅多に週刊誌を買わない私ですから、並べられた多くの週刊誌の派手さに少々戸惑いながらもFLASHを見つけて買い求めた次第です。

 さて、問題の記事は次のように書かれています。
 見出しは、「佐藤ゆかり『講演会で車激突』の決定的瞬間」と書かれており、記事の最後のほうにその部分がありました。

 ちなみに、講演の来場者からは「小泉さんが来るから見に来ただけ。佐藤さんに投票するか?さあね」との声も。その来場者達を沸かせた小泉元首相の講演も、小泉マジックから解かれた耳で聞けば首をかしげたくなる。
格差社会についての小泉元首相の発言を再録すると・・・。
「いま、ホームレスの人もよく見かけますけれども、もし、東京でも、北海道でも沖縄でも、、全国、ホームレスの人が『も-う、外で寝るのは飽きた』『たまにゃあ、うちの中で寝たい』『風呂にも入りたい』って言って各市町村なり区役所なりに行けば、どの人も、全部住宅を世話する。洋服も世話する。
・・・(略)しかし、『きちっとした生活はイヤダ。やっぱり野原で寝たい』と言う人を止めるわけにはいかない」聴衆からは笑い声。だか、ホームレスに対してのこの論評は、格差社会の゛生みの親゛として、軽口の度を超えてはいないか。この元ソーリが大切にしているチルドレン、それが佐藤議員なのである。
 という内容です。

 26日、博多での会議に出席した私は、博多駅の通路や階段の下で寝ている人、黙って座っている人、多くのホームレスの方々を見かけました。70歳過ぎの女性のホームレスの姿に心が痛みました。
 熊本でも地元でもホームレスを見かけます。東京・大阪・名古屋など大都市に行けば数え切れないほどのホームレスがおられます。
 先日、宇城市三角町の港で軽ライトバンに乗った7人家族が海に飛び込んで幼い子供を含む6人が亡くなりました。報道によると、生活苦が原因の一家心中だったようです。この家族の未来は、土地家屋、営業用の車まで差し押さえられ、もしかしたらホームレスにならなければならなかったのかもしれません。
 営業用の車まで差し押さえするということは間違っていると言えないでしょうか?
 働く手段、生活の糧を得る手段を奪い取って「税金を払え」はないでしょう。
 生活保護の申請を出させるとか働いて得た収入から少しづつ納税してもらうとかいろんな方法があったはずです。
 地方自治体は、たとえ「再建団体」に指定されても職員や首長、議員は飢え死にすることはありませんが庶民は忽ち追い詰められると言う事を知っていただきたいものです。
 私は、「もっと、おもいやりのある政治、行政をやれと」政治家に言いたいです。

 小泉元総理は、「ホームレスは、彼らが好きでやっている」と言わんばかりです。
 「行政が、家や洋服を世話する」などと現実を無視したこの発言には呆れるばかりです。
 こんな男が、この国の政権を握り格差社会を増大させ「自己責任」で切り捨てているのです。
私は、激しい怒りを覚えます。
【2008/05/28 13:08】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)
息子との対話
 昨日の昼前に京都の息子から久しぶりに電話がありました。
 今月12日、誕生日を迎えた私達父子ですが滅多に電話で話すことはありません。
 息子の勉強が忙しいこと知っていますので珠にメールでやりとりをする程度です。誕生日にお互いに祝いのメールのやりとりをしておりましたので、朝から「元気か?」と言う一言だけのメール送ったのでした。
 その返事が電話だったのです。携帯は家族間通話が無料ですから長話も平気です。
 息子の話しによると、毎日午前零時半まで大学院で勉強してるそうで、お腹が空くとついついカップ麺を食べるとか。学食も値段が上がって随分と食費がかかるので節約しているそうです。
 「体に悪いからちゃんとしたのを食べるように」と話したことです。どんなに難しい資格を取っても体を壊したら何にもならないですから心配です。
 稼ぎの少ない父親の責任を感じております。勿論、若い時は苦労させることも必要だとは思いますが。私の貧乏学生時代を思い出しながら息子との会話を楽しみました。
 今日は16時から博多で九州管区センター布教師会の会議です。このブログは電車の中で携帯から書きました。
【2008/05/26 15:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
熊本市原爆被爆被害者の会第51回総会
 今日は、午前10時半から熊本市内で開催された熊本市原爆被爆被害者の会の定期総会に来賓として出席しまた。
 民主党熊本県連に来賓としての参加要請が来ていたのですが、代表や代表代行は国会開催中で、他の役員もそれぞれ所用があったようで私に回ってきたのです。
 私自身が、毎年4月の花祭りに人権・平和・環境をテーマにしたコンサートを開催し、原爆被爆パネルも常設展示しておりますから逆に適役だったのかもしれません。
 また、長崎に居た頃、被爆者の方々の苦しみを直に見てきましたし、先輩の和尚さんが被爆による白血病によって亡くなって行ったこともありましたので、そういう話も入れながら挨拶しました。
 戦後63年、未だに多くの被爆者の方々が原爆症や後遺症に苦しんでおられます。
「原爆認定訴訟」でも、原告が勝訴したのにも関わらず国は控訴し認定しようとはしないのです。
 この国は法治国家なのに、国は法を守らない国であります。三権分立が名ばかりになっているのです。裁判所が下した判決にも従わない風潮が一段と大きくなっています。
 牧師をしている大先輩で友人でもある人が「日本は法治国家ではない」と断言しておられましたが同感です。
 国が裁判所の判決に従わない。法律を守らない。こんな国の人々が法を犯すことは当然と言う事になるのかもしれません。
 話は、戻りますが、被爆者の方々もかなりご高齢に゜なっておられます。早期全面救済が必要だと思います。
【2008/05/22 23:25】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(8)
後期高齢者医療制度・・・野党、廃止法案提出へ
 今日5月20日、野党4党が後期高齢者医療制度の廃止法案を23日、参議院に提出することを決定しました。それに対して、自民党の町村官房長官は「国会で議論して納得してできた法案を何故廃止しなければならないのか・・・意味が分からない・・・」というような発言をしていました。
 この法案は、2年前の5月、小泉政権の下で自公が強行採決して通した法案でありますから、野党の廃止法案の提出は道理に叶うものであります。むしろ。町村発言の方が、国民世論を聞こうとしない自公連立政権、政治家、官僚機構の傲慢さの表れといえると思います。
 どんな法律でも、国民の為にならない法律は「悪法」としか言えません。
 消費税の値上げ論議が起こっていますが、ガソリン税暫定税率の見直し、道路特定財源の無駄遣いの見直し、特種法人の見直しなどやるべきことをやってから言うべきです。
 腐った官僚機構と政官財の癒着構造は、自浄能力がなくなったのでしょうか。であれば、政権交代を実現し官僚機構を解体しなければこの国は破滅するしかないということでしょう。

(以下は4月26日に書いたものです)
今日の昼のニュースで元自民党衆議院議員の野中さんが、後期高齢者医療制度を導入した自公連立政権に対して痛烈な批判をしておられました。
 その内容は、「今の75歳以上の人達は、戦前から戦後に掛けてこの日本という国を支えてこられた方々なんだ。その人達に対してこういう医療制度を創って仕打ちをするというようなことは政治に心がないからだ・・・」と言うような内容で厳しく批判しておられました。全く同感です。
 確かに高齢になるに従って病気をすることも多くなるのは当然です。しかし、若い頃から働いて保険料を納めて、その頃の高齢者の方々を支えてこられたのです。
 それを、今になって別枠の保険制度を導入して新たに保険料を徴収する。
 しかも、僅かな年金でやっと生活しておられる方々からも有無を言わさずに徴収するこの制度は、税金を湯水の如く無駄遣いできる感覚をもった馬○官僚と利権政治を肯定する○鹿政治家しか思いつかない制度だと思います。
 それを、小泉内閣当時の2年前の5月に強行採決したのが自民党と公明党の国会議員の方々だということを多くの国民はご存知でしょうか。
 かつての自民党の大御所、野中さんのこの怒りの言葉をどう受け止められるのでしょうか。
国民の8割が反対というこの制度は早急に見直すべきだと思います。
【2008/05/21 00:36】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
中華人民共和国の変貌⑦大震災の犠牲者を悼む
 12日に四川省で発生した大地震によって38000人を超える死者が確認され、多くの負傷者が出ています。
 これから先、もっと多くの犠牲者が確認されることは間違いありません。
 犠牲者のご冥福をお祈りし、今となっては「奇跡的」に助かる人が1人でも多くなることを祈りたいと思います。
 中国が、未曾有の天災に遭っている時ですから、中国についての連載を止めます。
 また、被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
【2008/05/20 01:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
カーネーションは300鉢を超えていました。
 19日、熊本日日新聞朝刊の24面に「『抱き人形』と母の日の贈り物」というタイトルで母の日のカーネーションを贈った事が紹介されました。
 これは、恵楓園の入所者の方から熊日の記者さんに「是非、新聞で紹介して欲しい」という電話があったそうです。
 15日、私はブログにも書いたとおり、高松に日帰りで行きました。その途中の電車の中で電話による取材を受けました。
 氏名を明らかにしない」ことにしておりましたので「載せなくて良いです」と言いますと「記事として載せなければ、入所者の方が『読者の広場』に投稿するそうですから必ず載りますよ。」と言いますので氏名を載せないことを条件に取材に応じました。
 私の名前が分かれば当然、友人の名前は分かる仲であります。
その取材を受ける中で明らかになったのは、花の数は300鉢を超えていたことでした。240鉢のつもりが270鉢あったそうで、合計は300鉢を超えていたということです。
 女性の入所者全員に配られ、余ったものは納骨堂や自治会、園内の各所に飾られて蕾だった花も開いてそよ風に吹かれているそうです。
 皆さんが、たいそう喜んでいただいたということで友人と共に喜んでおります。
 この記事には、国策による強制堕胎、絶滅政策によって子供を産むことを許されなかった、母になることを許されなかった女性の悲しみについても書かれています。
 女性記者らしい感性で書かれたなかなか良い内容です。もし、この記事を読んでみたい方がおられましたらメールでお知らせいただければお届けいたします。
 来年も、届ける予定です。
【2008/05/20 01:32】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
西日本製鋼労働組合結成30周年記念式典と「ご安全に」という挨拶
 今日は、地元の西日本製鋼株式会社の労働組合の結成30周年記念式典に出席しました。
西日本製鋼は大阪製鐵と合併した新日鉄の関連会社です。30年ほど前に、電気炉を使った製鉄所がこの宇土市に完成しました。
 地元では、大手の企業になります。私の先輩や後輩達も勤めておられまして選挙の時ににも応援していただいております。
 今日の式典の中で、組合の委員長や幹部の方が挨拶をされる時に「ご安全に」という言葉を掛けられますと参加しておられる組合員の方達も「ご安全に」と返されるのに驚きと共に共感を覚えました。
 通常であれば「こんにちは」と言う挨拶に始まるでしょう。
 この製鉄所は、主に鉄くずや自動車のスクラップ鉄などを原料に鋼材を生産しています。
工場の中には入ったことはありませんが、スクラップを積んだ大型トラックが頻繁に出入りしていますし製品を積んだトラックも忙しく走り回っています。
 工場内も、恐らく様々な危険も伴うのでしょう。「絶対に事故を起さない」という決意がこの「ご安全に」という挨拶になったのだと思います。
 皆さん、日々危険と隣り合わせて一生懸命に働いておられるということなんですね。
 当然のことといえばそれまてですが「製鉄マン」の心意気を見た思いがしました。
皆様の益々のご健勝と西日本製鋼のご発展をお祈りしたいと思います。
【2008/05/16 20:31】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
四国高松の喝破道場理事長野田大燈老師祝賀会
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今日は、仏教伝道文化賞を受賞された高松の野田大燈老師の祝賀会に高松に来ています。祝賀会が終わりましたのでこれから帰ります。

 (追記)野田老師は、香川県高松市の五色台に報四恩精舎という寺院を建立、喝破道場という青少年の育成道場を開設、若竹学園という情緒障害児短期療養施設を開設、また、青年の自立施設を最近開設されるなど、素晴らしい教育者であり宗教者であります。
 また、5年間に亘って、大本山総持寺の後堂という修行僧の指導者としての重要な役目を勤められた方であります。
 今日までの様々な功績が認められ、財団法人仏教伝道協会から「仏教伝道文化賞」を受賞されました。数年前にも、「正力松太郎賞」も受賞された方であります。
 昨日の午後6時から高松市内で祝賀会が開催され、ご案内を頂きましたので参加しました。
 会場に着くと、野田老師が「遠方からわざわざおいでいただき有難うございます」という勿体無いねぎらいの言葉をいただきました。
 私は、「とんでもない、こちらこそご案内いただき有難うございました。この祝賀会は、二度とありませんから・・・」とお答えしました。
 人生は一期一会です。
 16日は、寺の仕事もですが、午前11時から宇城市のホワイトパレスで西日本製鋼労働組合の結成30周年記念式典があり、民主党の4区の代表としてご案内を受けておりましたので、正直なところ野田老師の祝賀会の参加には迷いもありましたが、インターネットで路線を検索したところ、高松駅発21時9分の電車に乗れば、新幹線、特急有明を乗り継いで熊本に午前1時30分に着くことが分かりましたので参加を決断しました。
 正に人生は、一期一会です。野田老師の祝賀会に参加して多くの人達と祝福できたことを嬉しく思いました。
 野田老師は61歳になられますが、これから先、もっもっと素晴らしい活躍をされ功績を残される方であります。
 私も、「見習わなければならない」と思いました。
【2008/05/15 20:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
中国・四川省の大震災、早期救出を願う
 一昨日、中国四川省で発生した大地震による建物の倒壊による生き埋めになっている人達が23000人にも上るそうです。
 小中学校の校舎も倒壊して子供達が犠牲になっているようです。早期救出を願っています。
中国政府も、この際、世界各国からの救援隊、物資の受け入れをするべきでしょう。
【2008/05/14 10:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
第16回部落解放県民共闘会議総会
 昨日(13日)は、午後6時から、熊本市で部落解放県民共闘会議の定期総会が開催されました。
私は、民主党熊本県連から同会議の副議長として参加しました。
 この会議は、連合熊本加盟労働組合、民主党、社民党、部落解放同盟などで組織され、部落差別の撤廃に向けた学習会や研修会の開催、及び支援活動などをしています。

 私は、曹洞宗の寺の住職ですが、宗門の中の一部には「同和」問題やハンセン病問題、様々な人権問題に取り組むことに対して批判的な意見を持っている人達がいます。
 私が、曹洞宗人権啓発相談員をしている時、やはり「いつまでやっているんだ?」という発言がありました。
 私は、「宗門は、徳川幕藩体制の時から400年以上に亘って差別してきた歴史がある。400年もやってきたことは400年掛けてでも差別を無くさなければならない」と答えました。
 今も差別は無くなってはいないのです。世間の表に出ないところで行われています。
 インターネットを利用した陰湿な差別書き込みや誹謗中傷、差別文書の掲示や差別葉書、就職や結婚についての身元調査などは巧妙に行われているのです。
 差別は、人の命さえ奪います。本人の責任のないことで人として幸福に生きる権利(人権)を奪われることがどんなに酷いことであるかを私達は知り、あらゆる差別と闘わなければならないと思います。

 私自身、かつて「私は差別していないから関係ない」という考えを持っていました。しかし、人権学習に参加し研鑽するうちに、自分自身が「差別者」だということに気付かされました。
 そして、宗門の諸先輩がやってきた差別布教や差別儀礼など全ての差別事象に対して現代を生きる宗侶として責任を負わなければならないと思ったのです。それが、私の人権問題に取り組むきっかけになったことでもあります。

 会議終了後は、懇親会にも参加し、多くの人と意見交換をしました。前日も、交流会でしたので酒はちょっとだけ控えめにして真っ直ぐ帰宅しました(笑)
 
【2008/05/14 01:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
赤いカーネーション240鉢を恵楓園へ届けました
 カーネーションを栽培している友人のご厚意で新たに240鉢のカーネーションを届けました。
友人の二㌧トラックに、午後3時から1時間かかって積み込みして4時に出発して5時に恵楓園に着きました。
 施設の職員さんたちが待っていてくれて手伝ってくれましたので7分程度で降ろすことができました。
 朝から女性の入所者の方々に配っていただけるそうなので喜んでいただければ幸いです。

 急いで帰宅して着替えて7時からは、ニュースカイホテルで異業種交流会、いろんな人から誕生日のお祝いの言葉やプレゼントをいただきました(もう、喜ぶ歳ではありませんが・・・)
 忙しい1日でしたが、友人夫婦のご厚意に感謝しております。
 
【2008/05/13 01:44】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)
母の日のプレゼント
20080511083415
昨日、カーネーションを栽培している同級生から赤いカーネーションの花を32鉢いただきました。
  彼は、毎年母の日にカーネーションを菊池恵楓園の入所者の方に届けている事を知っていて、「もっとたくさん貰って行けよ」と言ってくれました。
 今日の午後、「名前は言うな」と言いますから「宇土市の農家からです」と言って届けます。
 友人の真心に感謝します。

(追記) 
 午後3時半まで、人権社会確立九州地区研修大会の宗教部会に参加して、16時には、宇土の文化を考える市民の会の総会に参加し、午後5時半に恵楓園に着きました。
 自治会にカーネーションを届けると、大変喜んでいただきました。
 現在の入所者が430人程度で、約半数が女性らしいですから「来年は、もっと増やさなければらないかなぁ・・・」等と話してきました。
 月曜日に、園内各所に飾ってくれるそうです。
【2008/05/11 08:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
人権社会確立第28回九州地区研究集会
20080511081819
 10日の午後から11日夕方まで熊本市総合体育館周辺施設で開催されます。
 昨日は熊本市総合体育館で開会式と全体集会が開催されました。
 私は、部落解放県民共闘会議の構成団体の民主党として参加しました。
日曜日の二日目は分科会が開催されます。
 格差社会が拡大する中で、様々な差別事象が発生しています。まだまだ、人権確立の道程は遠いですが歩みを進めなければならないと思います。

 國際社会の中でも、人権確立は急務です。
 中国のチベット政策もそうですが、ハリケーンによる大災害で何万人もの死傷者を出しているミャンマーの軍事政権は昨日、新憲法の承認を求める国民投票を強行しました。
 国民の命を見殺しにしてでも自らの利権を守ろうとする「鬼畜政権」です。
 こんな指導者が「ミャンマーは仏教国」ということに激しい憤りを禁じえません。
世界中からの被災者に対する緊急援助とミャンマー政府に対する制裁措置が必要ではないでしょうか。
【2008/05/11 08:18】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
中華人民共和国の変貌⑦「中国全土を感動させた三万㌔親子旅③
 出発してから7ヵ月、上海に着いたふたりは民家に泊めてもらいました。
その日は、丁度母の100歳の誕生日です。王さんは、母が大好きなうどんをつくりました。
母は喜んで食べてくれました。
 新年を迎えた頃、取材で知り合った男性が「これから先は、自転車で行くのは無理だと思います。私があなたの自転車にエンジンを付けてあげましょう」と言ってくれました。
 それは、とっても有り難いことではありましたが、王さんは、エンジン音で母との会話ができなくなることが心配で断るのでした。
 旅は、上海からさらに南下して杭州へと進み、観光地を見て回り安らかな時を過ごすのでした。
やがて、福建省に入り、険しい山道が続きます。なかなか距離が伸びません。出発してから1年が過ぎ、母の体力も目に見えて衰えてきました。
 なんとか、中国最南端の海南島に辿り着くと「地の果て、天の先に行けるとは・・・」と母は、喜びの気持ちを表したのです。ふたりは、遂に中国大陸を縦断したのでした。
 王さんは、体力の衰えが目に見えてひどくなる母を見て考えました。「海南島からチベットまではまだ5000キロの距離がある。たとえ辿り着けたとしても故郷へ帰ることは叶わないだろう。母は、故郷へ帰りたいのではなかろうか・・それを言い出せないのであろう」と考え、故郷へ帰ることを決断しました。
 王さんは、帰り道にいろんな観光地を見せようと思いましたので母には、がっかりさせない為に「帰る」ことを告げませんでした。
 しかし、母は、出会う人々の服装や景色でチベットへ向かっていないことを感じ取っていました。
母は、自分の為に息子に散々な苦労を掛けたことを詫びました。手を握り合う親子の姿がありました。王さんは、母親の手が一段と小さくなっていることに涙が止まりませんでした。
 チンタオで取材を受けた時、相手の記者から「ふたり旅は充分なさったのだから、自転車の旅は止めて、飛行機で早く帰った方か良いのではありませんか?お母さんも無理でしょう。私も仕事で北へ行きますから一緒に飛行機で帰りましょう」と勧められ従うことにしました。
 ここで、母子ふたりの自転車旅行は900日、2万キロの旅を終えたのでした。
 列車と飛行機を乗り継いで故郷へ帰りついた母も2003年、102歳になった頃から次第に衰えて103歳の誕生日の2日前に息を引き取りました。
 母を亡くした王さんは、すっかり力を落として酒びたりの日々を過ごしていました。そんなある日、酔っ払って寝ていると、亡くなった母が目の前に現れて「酒は止めなさい」と叱るのでした。そして、「お腹がすいた」と言います。王さんは、うどんを作り、ふたりで食べたのでした。
 目が覚めると、夢なのか現実なのか分からないのに、やはり、うどんを食べていたのでした。
王さんは、母が死んだ後も自分のことを気遣っていてくれることに感謝しました。
 そして、母が「行きたい」と言っていたチベットへ、母の遺骨を連れて行くことを決心したのです。
 王さんは、母の遺骨とふたり分の食料を積んで1万キロ彼方を目指して出発しました。
 中国では、「遺骨を他人の家に入れてはいけない」という規則がある為に民家に泊まることはできませんでした。
 北京を過ぎた山道で脱水症状で倒れてしまいましたが、通りかかったトラックで病院へ運ばれて助けられました。
 医師は「この体でこれから先は無理だ」と言い、「西安までなら大丈夫だろう。西安についたら交通局を尋ねなさい。友人が力になってくれるはずだ」と言いました。
 王さんは、2週間で西安に着くと医師の友人を交通局に訪ねました。すると、そこには巨大なエンジン付のリヤカーが用意してあったのです。
 「どうしてもリヤカーで行きたい」という王さんの気持ちを尊重してくれたプレゼントだったのです。
 母と出発してから5年、3万キロの旅は、遂にチベットのラサに到着して終わりました。
母とお別れの祈りを捧げ、母の遺骨を撒いたのでした。

 この実話は、中国全土に報道され、人々の感動を誘ったそうです。私も、この番組を涙しながら見ました。
 吉田松陰先生の「親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ なんと聞くらん」という辞世の句がありますが、親は子を思い、子は親を思う。これが本来の親子のあり様だと思います。

 3回に分けて書きましたが最後まで読んでいただき有難うございました。

 11日(日曜日)は、母の日です。あなたは、お母さんに何をしてあげますか?

私は、亡きふたりの母に回向し、妻の母と義母に感謝の心を表します。
 そして、恵楓園で出会った「母」にカーネーションを届けます。これは、年に一度の私の楽しみなのです。
 「母という 字の暖かさ 有り難さ」
母の日の翌日は、私の54回目、長男の24回目の誕生日です。
「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」蒋介石の歌
 産んでくれた母に感謝し育ててくれた両親に感謝の心を表します。
【2008/05/09 16:13】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(5)
中華人民共和国の変貌⑥「中国全土に感動を呼んだ三万㌔の親子旅」②
 ふたりの旅は、少しづつ進んでいきます。中国では100歳まで長生きするひとは珍しいということで、母親の年齢を聞いて会いたいと言う人達が集まってくるようになりました。泊めてくれたり食事を提供してくれたりする人達も現れ「また寄ってください」と言ってくれる人もいました。
 そういう人々の声援を受けて元気を貰った王さんは自転車を漕ぎ続けます。74歳と言う高齢にも関わらず足には筋肉が付いてきたのでした。
 出発してから1ヶ月、母親に現在地を指して示すと「生きているうちにチベットに着くのかい?」と自分の年齢を考えて不安げに訊きます。王さんは、母親にいろんな所を見て貰いたいと思っておりました。山でしか暮らしたことのない母親に見せたかったもののひとつが海だったのです。
 中国の海岸リゾート地、秦皇島にたどり着き、母は、初めて見る海に感動します。
 そんな時、偶然にこの親子の旅を知ったマスコミが取材に殺到し「現代、最高の親孝行」と報道されるのでした。ただ、王さんにとっては、取材は、行程の邪魔になりますので最小限に制限するのでした。
 4ヶ月目に、首都北京に着きました。初めて見る大都会の北京は、見るもの聞くもの全てが驚きの連続でした。観光名所をゆっくりと見物して回りました。
 母に美味しい物を食べさせたいと思った王さんは、肉ソバ一杯を注文し母に渡します。母は、美味しそうに食べるのですが、肉は食べないで息子の口元へ持っていくのです。こうして一杯のソバをふたりで分け合って食べるのでした。

 この場面で「うどん供えて、母よ私もいただきまする」という山頭火の句と、もう随分前に話題になった「一杯のかけそば」の話を思い出しました。いつの時代も、「子を思う親心」は素晴らしいものです。しかし、現代は、子を虐待し殺してでも自分が楽をしようとする親が多くなりました。悲しいことです。

 季節は秋を迎え、ある日の朝のこと、母が高熱を出していました。医者に見て貰おうと必死に自転車を漕ぎ続けますが病院がありません。やっとのことで見つけた病院に駆け込んだのですが閉まっていました。大きな声で「誰か居ませんか」と叫んでいると医師が出てきましたので「母を診てください」と言うなり王さん自身が倒れてしまいました。
 翌朝、目を覚ますと隣のベッドには、母が寝ており、医師が付き添っていてくれました。その医師は、一晩中休むことなく治療に当たってくれていたのです。
 そのお陰で、ふたりとも健康を回復することができました。
 薬をいただき、治療費を払おうとすると、医師は「要りませんよ」と言います。「そんな訳には行きません」と言うと「これを見て下さい」と医師が指し示した窓口には「70歳以上の人は無料です」と貼り紙してあるのです。昨日までは、なかった貼り紙でした。
 若くして両親を亡くした医師は、この親子のことをテレビ見て感動していたのです。
親孝行できなかった医師のこの親子に対する思いやりの気持ちだったのでした。
王さんは、人の心の温かさを改めて感じました。そして、その気持ちに感謝し有り難く薬をいただいて出発しました。   (つづく)


 
【2008/05/09 14:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
中華人民共和国の変貌⑤「中国全土に感動を呼んだ三万㌔の親子旅」①
 昨日は、中国の胡錦涛国家主席の来日の様子を伝えるニュースが何度も流されていましたが、夜、偶然に点けたテレビで中国の親孝行の話が放送されていました。
 ビートたけしの「アンビリバボー」という番組です。母の日を前に、素晴らしい話を見ましたので私なりに解説を連載してみますので是非、読んでいただきたいと思います。

 この話は、74歳の息子が99歳になる母親を自転車で引くリヤカーに乗せてチベットを目指すという、実話でした。
 苦労続きの母親が「地の果ての海南島と天の果てのチベットへ行ってみたい」というので、74歳の息子が親孝行の為に連れて行こうと決心しますがお金はありません。
 考え付いたのが、リヤカーの上に板で屋根つきの座席を造って自転車で引っ張ると言うものでした。
 広大な大地の中国大陸を自転車で横断するだけでもとてもできる事ではないと思いますが、この老いたる孝行息子は果敢なる挑戦をするのです。
 息子の名は、王一民(ワンイーミン)さん、妻に先立たれて、それまで独り暮らしをしていた母とふたりで暮らすようになりました。母は、苦労の連続で足腰が弱くなってからと言うもの10階建てのアパートの6階の部屋から10年間ほど外に出ることはありませんでした。
 元気だった頃、母親に何ひとつ孝行できなかった王一民さんは、「母が元気なうちに何かしてあげたい」と考えていました。
母に訊くと「チベットに行きたい」と答えます。このふたりが住む町、黒龍江省塔河は、中国の最北端です。母に地図を見せて説明してもその膨大な距離が理解できません。
 中国人にとってチベットは、世界で一番天に近い所で、特に、ラサには、仏教の象徴であるポタラ宮があり、神聖な場所として憧れの的でもありました。
 王一民さんは、母を連れて行くことを決意し、2000年5月1日、リヤカーに母を乗せて出発したのです。
 母は、10年ぶりに美しい花々の咲く景色を見て感動し開放感を味わうことができました。
ふたりのリヤカーは、でこぼこ道や坂道をゆっくりゆっくり進んでいきますが、74歳の老体には応えます。
 疲労感が見える息子を気遣い母は「疲れたからやすみたい。急いでいくことはないよ・・・」と息子を休ませようとするのです。
 自分達の年齢を考えると、ゆっくりすることはできません。王さんは、一日でも早く着かなければと言う思いで急ぐのですが疲れ果てて一歩も進めなくなってしまいました。
 王さんは、民家を見つけて「泊めてください」とお願いしたのですが、荷台の母親を見て「こんなところに親を閉じ込めて・・・」と怒って受け付けてくれませんでした。
 王さんは、ロープを肩に掛けて荷台の重さを上半身でも引っ張るようにして肩に食い込むロープの痛みをこらえ続けて歩みを進めたのです。 (続く)
【2008/05/09 09:30】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
中華人民共和国の変貌④
 北京の市街地は、自転車のラッシュアワーでした。
 車は政府の要人がのっていると見られる黒塗りの国産高級車「紅旗」とトラックとバス、人民解放軍の輸送車ぐらいでした。それにしても人の多いこと、当時の人口は10億人とか言っていたように思います。実際、正確な数字は把握できないのだそうです。

 国賓として招かれた訪中団ですから何処へ行っても「熱烈歓迎」で迎えられました。
 中国の同世代の若者との交流会では、多くの青年達が「中国と日本の間には、かつて、とても不幸な関係がありました。私達、中国と日本の若者は、それを乗り越えて友好関係を深めなければなりません」と目を輝かせて語ってくれたことがとても印象的であり、私自身も、そう思ったことでありました。
 北九州市が独自に日中友好青年の船を企画した背景には、北九州は全国でも屈指の工業地帯でありますから、鉄鋼、化学製品、電化製品などあらゆる製品の輸出入の相手国として重要な相手国に成り得ると言う思惑があったようです。
 現実に、北九州の門司港や新門司港、小倉港、山口県の下関港には頻繁に中国の貨物船が入港するようになって行きました。
 当時、中国から日本に入ってくる品物は、お菓子、ふかひれ、乾物類、缶詰製品、紅茶、ジャスミン茶などの食料品や民芸品、家具類などが多かったようです。
 デパートや特設会場で開催される「中国展」は結構な賑わいを見せておりました。

北京の人民大会堂では、北京市長主催の歓迎レセプションが開催され、見たこともなければ食べたこともない豪華な中華料理をご馳走になりました。
 国賓として招かれた場合には、レセプションは一度は中国側の主催で、お返しとして招かれた側つまり北九州市長が主催するレセプションが再度、開催されますから我々団員は二度のレセプションに出てご馳走になれる訳です。
 それが、上海、天津、北京の三つの都市でありますから合計6回もレセプションに参加させていただきました。
 参加費3万円(1人当たりの経費は36万円?と聞いていました。市と北九州の協賛企業が出してくれたそうです)で、本当に、有り難い経験をさせていただきました。つづく
 
【2008/05/07 09:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
紅フナ君・・・元気回復
20080504231922
今日の夕方から危篤状態だった紅フナ(20センチ)が救命措置で元気を回復しました。
 夕方、畑に出ていると娘が電話をしてきました。「魚が死にそうだ。横向きになって浮いている」と言います。急いで、水槽のところへ駆けつけると娘が言ったとおり横向きに浮いてアップアップしています。
 井戸水を入れた大き目のボールに紅フナを移しました。魚の体にはヌルッとした感触がありましたので体に傷を付けない様に体を洗ってやりました。気にはなっていたのですが、このところ水槽を洗い水を換えていなかったことがいけなかったようです。
 水槽を洗い、浄水器を洗って再び水を入れて魚を戻しましたが横になってアップアップ浮いています。「今夜がやまかもしれないな・・・」と話しながら元気になってくれる事を念じておりました。
 水槽に戻してから約5時間が経とうとするころ・・・なんと、なんと、まっすぐに立って?泳いでいるではありませんか。
 もう大丈夫だと思います。家族みんなで紅フナの生還に大喜びです。

 今から20年ほど前の話ですが、島原半島の西有家に居た頃、檀家の魚釣りの好きな棟梁さんが30センチほどのチヌをビニール袋に入れて持ってきて「友達と刺身にして酒の肴に食べてくれ」と言って置いて行きました。
 チヌはビニール袋の中で、かすかに口を動かしていました。
 直ぐに大き目のバケツに水を入れ、塩水を作ってチヌを入れて人工呼吸をしました。(尾びれを左右に動かすと自然にエラが動くのです)
 すると、次第に元気を回復しやがて勢い良く跳ねるようになりました。
「もう大丈夫だ」と当時、5歳ぐらいになっていた長女と海辺に行き「もう釣られるなよ・・・」と言いながら放流しました。笑い話のうな話でしょう。チヌは「ありがとう・・・」と言って勢い良く沖に向かって泳いでいきました。
 いつもの飲み仲間には、事の次第を話して棟梁には「ご馳走になりました」とお礼を言ってくれるように頼んだ事でした。
 「生命を殺さざれば仏種増長す、仏の慧命を継ぐべし」と道元禅師はお示しです。
無駄に(不必要に)命をとっていけない。生かすことが大切なのです。
 
紅フナも何も語ってはくれませんが心を和ませてくれるものです。
【2008/05/04 23:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
中華人民共和国の変貌③
 青年の船で行った頃の中国は、ほぼ全員が人民服を着ていました。
人々は、どこへ行っても笑顔で迎えてくれました。
 今は、個人企業が殆どですが、当時は、全てが人民公社でした。
 街や人民公社の入り口、工場内にも「毛沢東万歳」、「中国共産党万歳」、「自力更生」などのスローガンが掲げられていました。
 小学校も訪問しましたが子供達の目は生き生きとして輝いていました。勿論、徹底した思想教育も行われていたでしょうし音楽・芸術・文学も思想教育を担う文化であったはずです。
 北朝鮮の子供達が目を輝かせて「将軍様」と言っている時の目と同じたったのかもしれません。
 
 上海港を出港して一路天津へ。天津で大学生との交流会や視察を終えてから蒸気機関車に乗って北京へ向かいました。
 我が国とは違って、見渡す限りの平原がつづき、山の一つも見えません。
 戦時中には、この果てしない平原を日本から来た人々も軍隊も移動して行ったのかと思いを巡らしたものです。子供のころ、戦時中のことはよく聞かされていましたので余計に想像を巡らせたものです。
 終戦後、日本に帰るために多くの日本人がこの広大な大地を歩き続け、祖国を思い帰るというを遂げることなく無念の思いで息絶えて逝ったのだろうと思いました。
 この広大な大平原は、中国人にも日本人にも悲しみの大地だったのかもしれません。
【2008/05/04 20:10】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
中華人民共和国の変貌②
 北九州の門司港を出向した商船三井船舶の客船日本丸は、当時の北九州市長谷吾平団長と350人を超える訪中団の一行を乗せて上海を目指しました。
 東シナ海は、見渡す限り水平線でしたが途中で荒波にも揉まれ、時々見かける漁船は木の葉の如く荒波に揉まれていました。
 私達が乗った10,770トンの日本丸も船首を大波に持ち上げられたかと思うと「ドド-ン」という音を立てて落ちるのです。
 船内では、中国語の勉強や意見交換会などもありましたが、そんな時は、メモを取る為に下を向いていますから船酔いに拍車をかけるものです。隊員の多くが青い顔をしていました。私も酷い船酔いには閉口したものです。
 2日半かかって、赤茶けた水の上を船は進みます。海ではなく揚子江を登っているのでした。
やがて、上海の町並みが見え、埠頭には多くの人達が日中両国の旗を振り、子供達は歌を歌い、また踊っていました。
 「熱烈歓迎」の横断幕と1000人近くの人々が出迎えてくれていたのです。
 私達も、かつて一度も味わった事も無い熱烈歓迎に感激しました。
上海では、各グループ(20人程度)ごとに分かれて工場見学、学校、美術館見学などそれぞれ研修や交流会を行いました。
 私のグループは、文化・芸術グループでした。
 一般の労働者の人達が住む団地を訪問し個人の家庭を訪問したときの事です。
60歳を超えたぐらいの女性と話す機会があり、日中戦争に話が及びました。戦争の事や旧日本軍のこと、大和魂などということに触れてはいけないと言われていましたが話の成り行きでそうなったのですが、この女性も、家族が旧日本軍によって殺された辛い経験を話してくれました。そして、「これは、日本の帝国主義者達が行った事です。あなた達には責任はありません。これからは、中国と日本は仲良くしなければなりません・・・」と話してくれました。
 私の父も、戦時中、中国大陸を転戦して回ったことを子供の時からよく話してくれていましたので、この女性の悲しい過去とこれからの日中両国は友好を深めなければならないという思いに感激しました。
 やった方は直ぐに忘れますがやられた方はなかなか忘れる事はできないものです。この女性の言葉が、政府の指導の下に発せられた言葉なのか本音なのかは分かりませんが、二度と同じ過ちを繰り返さない為には日中友好は本当に大切なのだと思いました。
 父は、この青年の船で訪中する事をあまり喜んではいませんでした。それは、若い頃から刷り込まれた「反共教育」と「仮想敵国」という意識が強かったのだと思います。しかし、私は、この訪中によって、多くのことを学び中国が好きになりました。つづく
【2008/05/03 19:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
憲法記念日
20080503183240
今日は憲法記念日です。午前10時30分から熊本市の国際交流会館で熊本県平和行動実行委員会主催の憲法記念集会が開催されました。
 テーマは「憲法と暮らしを考える」で、講師は弁護士でNPO法人派遣労働ネットワーク代表の中野麻美さんで、演題は「非正規労働と憲法」でした。
 憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と生存権をうたっています。しかし、パートや派遣労働などの非正規雇用の増加によって、低賃金で働かされ働いても働いても貧困から抜け出せない人達、生活保護以下の所得しか得られない人達が労働人口の三分の一を占めるようになった厳しい現実。
 正雇用の社員でも、過重労働を強いられるなど賃金と引き換えに命をすり減らしている現実があります。
 この4月から、施行された後期高齢者医療制度も、年齢によって差別した制度で、健康診断の補助金がなくなったり、包括医療費支払いによって病院が75歳以上の患者に対しては治療を施しにくくなる制度であることが指摘されています。
 労働者派遣法も後期高齢者医療制度も共に「生存権」を脅かすものであることが指摘されました。
 これまでの憲法記念日では、第9条「戦争の放棄」が主な課題であったように思いますが、今回は、国民の目の前の問題である「生存権」がもう一つの課題として浮かび上がってきたということです。
 
 
【2008/05/03 18:32】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
中華人民共和国の変貌①
 連日、北京オリンピックの聖火リレーのニュースが目に入ります。
チベット自治区(本来は独立国だと思います)で起きた反政府運動に対する中国政府の弾圧が世界的に批判を受けています。
 聖火リレーの会場周辺では、チベットを支持する人達と中国を支持する人達が度々衝突したり小競り合いが起きています。
 私が初めて訪中したのは、34年前、20歳の時、昭和50年4月20日から5月5日までの半月間でした。
 当時、北九州で某新聞社で働きながら夜学に通っていた私は、北九州市が募集していた「日中友好北九州市青年の船」に応募して選ばれたのです。
 田中角栄総理が日中国交回復してから3年後のことで「国賓」としての訪中でした。
当時は、毛沢東主席と周恩来総理の時代で最高所得の毛沢東と最低給与の人との格差は200倍ということでした。恐らく、今は何百万倍もの格差があるでしょう。
 訪問した都市は、上海・天津・北京でしたが、どの都市も、道路という道路は自転車で一杯でした。
 私は、国賓として2回、北京の人民大会堂で開催された歓迎レセプションに出席していますが、一回目がこの時で、二回目は、平成4年12月の日中友好書道展の歓迎レセプションでした。
 この時ごろまでは、「上海で忘れ物をしても北京に着く頃には届く」と言われて、不用品を捨てるときには「不要」と書いて捨てるように指示されるほど治安の良い国だったのです。
 その中国も、小平総理の「豊になれるものから豊かになれ」という「改革開放政策」以後、市場経済が導入されて急速に発展していきました。
 三回目の訪中は、平成6年5月の道元禅師の足跡を巡る旅でした。
 この頃は、観光地へ行くと現地の人が本やみやげ物をしつこく売り込みに来るようになっていました。
 夜の町に出かける時も「絶対にひとりでは行かないように」と厳しくガイドさんから注意されたものです。特に「カラオケ屋さんは、部屋に入ると若い娘さんが居ます。帰る時には怖いお兄さんが出てきますから絶対に入らないように・・・身包み剥がされます」と注意があり爆笑した事でした。
 今の中国は、人権無視、利益最優先、命より利益優先ですから有害物質は河川や大気中に放出するばかりで何の対策を採っていません。
 やがて、中国では様々な公害病が蔓延する事でしょう。
日本文化は、中国4千年の歴史、孔子・孟子に代表される大学や中庸など中国古典に、人としての行き方さえ学んできたと思います。
 しかし、今の中国では「金儲けこそ最高命題」というような拝金主義の全盛時代です。
 先だって、テレビ放送の中で、中国の実業家達のパーテーの場面がありました。乾杯の挨拶で「みなさん、もっともっと大金持ちになりましょう・・・」と言うのを見て唖然としました。
 日本で、こんな挨拶をしたら雰囲気は台無し、軽蔑の目で見られることでしょう。
中国の変貌について暫く書いてみたいと思います。

 
 
【2008/05/02 18:57】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
町議長選挙をめぐる贈賄の申し入れで逮捕
 阿蘇郡高森町の現職の町議会議員と前町議会議員2人が議長選挙での投票依頼の目的で現金数十万円を渡して(ひとりは受け取り拒否)逮捕されました。
 受け取った議員も、後日、返金したそうです。
 このようなことは、県議会議長選挙から市町村議会議長選挙まで、よく行われていることのようで、この事件は、氷山の一角と言えましょう。
 地方自治体の議長の椅子は、大変高価なもののようです。議長報酬も平議員よりかなり高額になりますし、名誉でもあるようです。そして、何と言っても「権力者」である訳です。
 首長も議長を無視して議案の提出も出来ませんし、議会をスムーズに進めて首長提案の議案を通してもらわなければなりませんから、所謂「与党議員」から議長を出したくなるのは当然の事です。そこに、議長選挙に首長が絡むことがあり得ると言う事です。
 また、議員の中では、そのポストに就きたがる人も多いですから熊本県議会のように一年交代でたらい回しにしたり、ある議会では、二年で交代するという約束を交わしたりと言うことが出てきます。
 昨年の熊本県議会議員選挙後には、全議員にうなぎの蒲焼が贈られたそうです。当然のことですが、民主・県民クラブの議員さん達は、送り返して受け取られなかったと聞いています。
 さて、高森町の場合、収賄を持ち掛けられたふたりの議員が、もし貰っていたとしたらこの事件は表面化することは無かったでしょう。
 また、貰った議員は「毒饅頭」を食べた訳で、将来に渡って逮捕されたふたりの議員の言いなりにならざるを得なかったことと思います。
 私が、かねがね「一度食った毒饅頭の毒は決して抜けない」というのはお互いが抜き差しならぬ関係になるということです。
 公共事業での便宜供与や口利きなどでの贈収賄も同様に、政治家と業者を抜き差しならぬ関係にしてしまいますからその政治家が居る限り贈収賄を続けることになるのです。
 時々、表沙汰になるのは、どちらかが相手を変えて利益を享受出来なくなった方が腹いせに告発したり口外した時に起きるのです。
 こんな汚職が続く限り、税金の無駄遣いはなくなりませんし「私腹」を肥やす者がなくなることはありません。
 高森の勇気を出して告発した方には敬意を表したいと思います。
 また、有権者も汚職に手を染める政治家を選ばない事です。
 
【2008/05/01 00:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)


藤井慶峰の日々を綴るブログです。法泉寺のHPへ

プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
(著書)美しい地球と未来を子供たちに ㈱ぱんたか刊 1300円 この本を送料・税込み1000円で差し上げます。

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