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雲仙普賢岳の樹氷風景
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 今日は、島原半島の国見町(現雲仙市)の常春寺様の仏教婦人会法要の法話に行きました。
 帰途、普賢岳に向かって坂道を登っていたら頂を白く化粧している事に気付いて携帯電話のカメラで写したものです。
 これは、雪ではありません。霧氷です。
 島原在住の頃、昭和60年ごろには夜明け前にカメラと三脚を担いで霧氷の写真を撮りに何度か登りました。
 朝日に輝く霧氷の光景は赤く輝き何ともいえない独特の風景です。
昔撮った写真を探してみてあったらブログに載せたいと思います。
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【2008/01/31 22:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)
暫定税率・・・つなぎ法案取り下げ 本質を見極めましょう
 昨日、揮発油税の暫定税率を延長するための「つなぎ法案」が、一旦は衆議院財務金融委員会で与党の強行採決で採択されましたが、両院議長の仲介で「取り下げ」になりました。
 与党も国民の批判が怖かったようです。
 国民は、この機会に1㍑25円払っている道路特定財源が何にどう使われているかしっかり見極めるべきです。
 はっきり言ってとんでもない無駄遣いされている、仕事もしない天下り官僚に湯水の如く使われている現実を見るべきです。
 生活苦に喘ぐ国民が増加する一方で「借金大国だ、予算が足りない」などと嘘を言って一方ではぬくぬくと税金を無駄遣いし、私腹を肥やしている奴らがいることをしっかり見るべきです。
 この構図は、国も地方も同じで国会議員から県議、市町村議員、首長と順々に利権が流れる仕組みがあるのです。
 道路工事に携わる業界団体が1億8千万円を超える政治献金を自民党にしていたことが明らかになりました。この献金されたお金は、我々国民が納めた血税だということを忘れてはなりません。
 更に仕事が欲しい、即ち道路をどんどん造って欲しい、儲けたい業者達が献金し「お仕事頂戴」と言っているのです。
 国民生活と道路利権とどちらが大切でしょうか?
地方自治体の長たちは、「暫定税率が廃止されれば地方の金が不足して予算が組めない」と言っておりますが、ならば、道路財源として積み立てられた莫大な余剰金を一般財源化して地方に回し、税率を引き下げるとか特殊法人の見直しや道路計画の見直しなどをするべきではないでしょうか。
「暫定」と言いながら何十年も延長し続けている政治は三流、四流でしかないと思います。
【2008/01/31 01:05】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(5)
暫定税率の継続は本当に必要なのか
 政府与党は、今夜3月31で期限切れとなる揮発油税などの暫定税率を5月末まで延長する「つなぎ法案」を提出しました。
「暫定」と言う言葉の意味は「しばらく」とか「一時的」という意味であります。その暫定税率が何十年も続けられているということは真に滑稽なことです。
 政府与党も、今年の3月末に期限が来る事は分かっていた事ですから何年も前から税率や恒久法が必要なのかどうかも含めて充分に検討すべきだったのではないでしょうか。
 民主党や野党はこの暫定税率の延長に反対し何としても阻止する姿勢を見せています。
 一方、全国の市町村長や知事会は「地方自治体の予算が組めない」と言って、こぞって暫定税率の廃止に反対しています。
 今日の午後、熊本市内のある事務所に行っての帰途、8階から階段で降りる時に幾つもの「独立行政法人」の事務所を見ました。所謂、官僚の天下り先として悪評高い独立行政法人です。
 先日、夜のニュースで「道路特定財源」で造られた7つの地下駐車場が紹介されていました。
 建築費が100億円を超える駐車場が稼働率50から60パーセントなのです。つまり、不要な駐車場を造ったと言う事です。管理する事務所には天下りしてきた管理職が居て赤字経営にも関わらず高額の報酬を貰っているのです。
 民間駐車場の経営者が「こんなところに100億円もかけて駐車場を造る意味があるのか?駐車場で利益が上がらないどころか民間駐車場の経営をも圧迫している」と言っていました。
 民間の発想は「少ない経費で大きく稼ぐ。尚且つお客様を大切にしてサービスを怠らない」ということでしょう。
 逆に官の考え方は「与えられた予算を使い切って次年度も予算を確保する。利益を生む必要なし」と民と官では全く逆と言えます。
 道路特定財源の予算を消化している特殊法人の事務所には10名近くの天下り役員が居て1人の年間給与は1650万円と言う事でした。
 工事をする段階では、請負企業からの政治献金や賄賂として政治家の懐に入り、出来上がってからは官僚を養う為の「管理事務所」となっている現実があるのです。
 本当に必要な道路は造らなければならないでしょう。しかし、誰も通らない大きな道路が山の中に走っているところもあります。
 先ずは、税金の無駄遣いをなくすことでしょう。道路特定財源を一般財源化して揮発油税の税率も見直す必要があると思います。
 今、運送業界、農林水産業、を問わず全ての国民が原油高による影響を受けて苦しんでいます。無駄を省き、国民の生活を守ることが最優先されるべきだと思います。
 国民は、この法案の本質、道路特定財源の本質をしっかり見なければならないと思います。
【2008/01/30 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
NHKの番組今夜10時からプロフェッショナル・仕事の流儀放送のお知らせ
 今夜10時から放送されるNHKのプロフェッショナル「リーダーは太陽であれ、アラブで巨大工事を担うボスの神業」の高橋さんは拙寺の檀家の娘婿さんです。
 法事の時に、お会いして話したことがありましたので番組予告を見て皆さんにお知らせします。
 高橋さんは、お住まいは横浜ですが、一年の殆どをアラブで過しておられる方です。
 義父の法事の時には遠い国から短期間だけ帰国されご参列されます。
 是非、ご覧いただきたいと思いましてお知らせします。
【2008/01/29 21:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
命の絆・・・父と娘の心中事件に思う
 27日の午後、千葉県野田市で34歳の交通事故の後遺症で寝たきりだった娘さんがベッドで死亡し、63歳の父親が首を吊って自殺しているのが発見されました。
 警察の調べでは父親が交通事故の後遺症によって寝たきりになってしまった娘さんの将来を悲観しての無理心中ではないかと見られています。
 なんとも痛ましい、悲しい事件です。
 娘さんの容態や家庭の経済的生活状況、交通事故による補償問題など詳細については分かりませんが家族が病気や事故で介護が必要になったり、回復の見通しが立たない状況になると家族は大きな精神的、肉体的、経済的な負担を強いられます。
 こういう状況になった家族を社会で支えていくシステムの構築が必要だと思います。
 私が関わりあっている知的障害者の通所作業所を利用しておられる子供さんの母親が「この子を残して死ねない。順序から行くと私が先に死んで行くでしょう。その時、この子を残して行けないのです。だから、なんとか、ここで生きていく力を着けさせたいのです」と涙ながらに話されました。ご家族にとっては、真に切実な問題なのです。
 私にも一男二女がおりますが、病気や事故で介護が必要になったとしたら将来の希望が持てない状況になったとしたらと考えると決して他人事ではありません。
 この事件の父親の気持ちが分かるような気がします。
 和尚として殺すという行為も自殺も容認する事はできないことではありますが、この父親を責める事はできないと思います。
 何でもかんでも「自己責任」で個人の責任にして公的支援を少なくしようとする国や行政の動きには反対です。逆に公的支援こそ必要だと思います。
 社会の中で支えていくシステムが構築されていれば、この事件は防げたのかもしれません。
【2008/01/28 01:06】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(2)
命の絆・・親子の原点を考える
 昨夜のブログで少しだけ書きましたが、昨日は、午後3時に法話を終って伊藤監院老師(総持寺の行政の責任者)にご挨拶をして帰りました。
 夕方は、品川駅前の日本料理店で、法話会に参加された東京にお住まいの志岐さんご夫婦と食事をしながら昔話から現代の様々な話題に話が弾みました。
 私が、島原半島の西有家町(現・南島原市西有家町)の龍泉寺様に役僧として勤めだしたのが昭和55年4月10日でした。その年の5月3日に亡くなられたのが志岐さんのお父さんでありました。
 お父さんは、元陸軍大佐でとても厳格な方だったようです。その時から、志岐家とご兄弟との出会いがあり東京出張の時は飲食を共にしたり家にも何度か泊めていただいたものです。
 志岐さんのお母さん、お姉さんとも亡くなられるまで長いお付き合いをさせていただきました。長男さんは、東京で税理士をしておられ、ご本人は、大手ゼネコンの設計部長だった方で定年後、悠々自適?の生活をしておられるようです。
 こうして、長いお付き合いをさせていただけることはとても有り難い事です。
 今朝は、羽田発9時5分の飛行機で帰熊。12時から檀家の13回忌の御供養。
 その後、4・7日の供養を済ませて2時に帰宅しました。直後には、大阪から檀家の娘さん夫婦が予定通りに来山され、拙寺の境内にあるお墓と本堂にお祭りしてあるご先祖様に結婚の報告をされました。お母さんは早く亡くなっておられましたがお父さんはお二人の御結婚を承知しながら挙式の前に亡くなられたのです。
 ご供養は、本堂のご本尊様の前にご両親のお位牌を移して、御夫婦と一緒に「仏説父母恩重経」を読みました。
 仏説父母恩重経というお経は、親が親として子供に対してどうあるべきか、子は子として親に対してどうあるべきかということを解りやすくカナで書いたお経ですから読めば内容がよく理解できますので多くの人が読みながら涙するものです。
 昨日から今日にかけて、志岐さん御夫婦と檀家の娘さん御夫婦と命の絆、親子の原点を見つめた二日間でありました。
 檀家とお寺・住職との関係は、お店とお客さんの関係ではありません。少なくとも、私の場合は、檀家とお寺・住職は親戚関係以上のものがあると考えております。従って、遠隔地の檀家の子供さんやお孫さん達にとって法泉寺は「故郷」だと考えております。
 住職は、檀家さんにとって、ある時は父母兄姉であると思います。
(注)住職は、男性だけではありません。

「故郷に命有り」人々の心の故郷であり続けたいと思います。

 昨日のブログには、総持寺の法話会に参加された栃木県のお寺のご住職の妹さんから暖かいコメントをいただきました。心から感謝致します。
【2008/01/26 21:04】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(2)
総持寺の法話会
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昨日のブログに書きました通り、今日は横浜市鶴見の大本山総持寺の月例法話会の講師を勤めました。 約100名を越える熱心な信者さん達がご参加くださいました。 終わってから法話会に来ておられた私が島原半島に居た頃から大変お世話になっている島原出身のご夫婦
と夕食をとり昔話に花を咲かせました。 東京はかなり寒いです。夕食を済ませて今は部屋でゆっくりしながら携帯電話でブログを書いています。

写真は高輪プリンスホテルの古い建物です。
【2008/01/25 20:50】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)
やさしい禅を聞く会 3月11日、博多グリーンホテル2号館で
 まだ、先のことですが3月11日(火)午後6時半より博多駅前(筑紫口)の博多グリーンホテル2号館会議室で曹洞宗九州管区教化センター主催の「やさしい禅に親しむ会」が開催されます。
 18時半から椅子坐禅があります。その後、1時間、私が法話をします。
興味があられる方はご参加下さい。
演題については、後日、このブログでお知らせします。
【2008/01/24 21:55】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
生かされし命尊し 我を愛せよ我を敬せよ③悲しい事件
 昨日の早朝、大阪市東成区の路上で若い女性が歩道橋から落ちて車に轢かれてなくなりました。
 この女性は、今月16日に守口市で発生した強盗殺人事件で殺害された山中礼弥ちゃん(生後18日)の母親の山中いづみさん(22歳)でした。
 礼弥ちゃんは、いづみさんと同級生の男性との間に生まれた赤ちゃんで、2人は、この春結婚する予定だったそうです。
 あまりにも悲し過ぎます。どうして・・・また、こんな悲劇が起きるのでしょうか。
 愛する子供を奪われて生きる希望をなくしたのでしょうか・・・いづみさんが身を寄せていた親戚の家から遺書が発見され自殺と見られています。
 道路に身を投げて車に轢かれたようです。
 愛する人との間に生まれた愛しい子供を目の前で殺されるという残酷な事件に巻き込まれるということはどんなに気丈な人でも耐えられないことだと思います。
 まして、産後間もない精神的にも不安定な時期でもありましょう。この親子のご冥福をお祈りし犯人が早く捕まることを願っております。
私は、犯人が憎くてたまりません。おそらく、多くの善良な市民が同じ思いであろうと思います。
 悲しみと虚しさと犯人に対する憎しみが込み上げる事件でした。
 
【2008/01/24 14:33】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
生かされし命尊し・・・我を愛せよ我を敬せよ②
 「父母もその父母も我なりき我を愛せよ我を敬せよ」この言葉は、二宮尊徳翁の言葉です。
自分を愛する事敬う事は決して楽をして自分に甘くすることではありません。自分の命を大切にし、神仏やご先祖様、自分自身に恥ずかしくない生き方をすることだと思います。
人間にとって何が一番愛しいかと言えばそれは、自分自身です。であれば、他人も自分が一番愛しいのですから他人も大切にしなければならないということです。
 私達の命は面々と脈々と受け継がれた命をいただいている命です。
 自分だけの命ではありません。両親の命、祖父祖母の命、ご先祖様の命がこの体に宿っているのです。決して無駄にしてはいけないのです。
 刑務所で個人教誨した受刑者の中に若い女性を殺害し強盗殺人の罪で無期懲役の判決を受けて服役している青年がいます。
 彼と面談した時に「君は何時かは社会に帰ることができるだろう。しかし、君が殺したお嬢さんは、ご両親やご家族がどんなに泣き叫ぼうと喚こうと二度と帰ってくることはない。
 もし、君が命を奪わなかったら結婚して可愛い子供さんができて家族団欒があったかもしれない。可愛いお孫さんを抱いて慶ぶお爺ちゃんお婆ちゃんの姿があったかもしれない。君が奪った命は一人の命ではない。これから産まれて来る筈の無限の命を奪ったという事なんだ」という話をしました。
 彼は、その後も数回に渡って個人教誨を受け、真面目に私の坐禅会に参加しています。
 全ての人々が命の尊さに目覚め、自他共に敬い支えあう社会が実現すれば殺人も自殺もなくなるのでしょうが現実は、全く逆方向に進んでいます。
 それは、様々な原因がありますが政治に思いやりの心がなくなった結果、教育にも行政にもありとあらゆるところに思いやりの心がなくなってしまったようです。
 人という字のように支えあう社会を実現する為に微力ながら頑張っていきたいと思います。
【2008/01/22 22:27】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
大本山総持寺でお説教を担当します・・・1月25日13時半より15時まで
 今月25日、13時30分から15時まで、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山総持寺で月例法話のお説教を担当します。
 演題は「幸福の種を播こう・・・三福田の教え」の予定です。
どなたでも無料で参加できますからお近くの方、お知り合いの方が横浜・東京方面におられましたらお知らせいただき参拝をお勧め下さい。
【2008/01/22 00:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
生かされし命尊し・・・我を愛せよ我を敬せよ①
 32,552人、この人数は、一昨年の自殺した人の人数です。ここ数年、自殺者は3万人を超えています。
 交通事故死者は、1万人を切っていますから如何に自ら命を絶つ人が多いか分かります。
 昨日も、26歳の姉妹がマンションから飛び降りて自ら命を絶ちました。その前は、女子中学生とサラリーマンそれぞれ列車に飛び込んで死にました。
 自ら命を絶つ人、人から命を奪われる人、何度も書き続けていることですが現代ほど命が粗末に扱われている時代はなかったのではないでしょうか。
 和尚という仕事をしていますといろんな人の死に出会います。老衰で亡くなった人、病気で亡くなった人、事故でなくなった人、自ら命を絶った人など様々です。
 老衰の場合は、長い人生を生きてこられて家族も覚悟ができていますから悲しみはかなり軽減されています。しかし、それ以外は、大きな悲しみをともないます。
 和尚として、どれが一番辛いかと問われれば比較できないですが、人の死はどれも辛いことです。特に、自ら命を絶った人の場合は、「何故死んだ」という悔しさがともないます。
 犯罪に巻き込まれてなくなった人のお葬式はまだやったことはありませんが悲しみと悔しさが一番大きいと思います。
 私が、自ら命を絶った人の枕経を勤めたのが23歳の修行中のことでした。
銀行に勤めておられた私と同世代の女性でした。理由は定かではありませんでしたが、枕経をお勤めしながら「何故死んだんだ」という疑問というより怒りが込上げた事と「この人と生前に出会っていたらどうだったろうか?死なせなくて済んだかもしれない」という思いがしたことを覚えています。縁がなかったので考えても仕方ない事ではありますが「死んで欲しくなかった」と思います。
 私は、昭和39年7月18日、小学校4年生の時に母を癌でなくしておりますから命の尊さと儚さは体験的に学んでいます。母が入院していた頃の済生会病院は熊本市の段山町にありました。兄弟でバスと熊本市電を乗り継いで母の見舞いに行ったものです。
 私の家から見ると、北方彼方に花岡山の仏舎利塔が見え、その向かう側に済生会病院はありましたから、母が亡くなった後も花岡山を遠くに眺めては「あの先の病院に行ったら母が居るかもしれない」と思ったものです。
 居るはずもない母の面影をずっと追い続けていました。その後、継母が来てくれましたが継母を「お母さん」と呼べたのは19歳になってからのことです。
 私の人生を支えてくれたものの一つが「二人の母を悲しませてはいけない」という思いでありました。高校時代に道を外れようとした(外れていたのかもしれません)私を、心の中で支えてくれたのです。
 人の命は自分ひとりの命ではありません。この地球上に生命が誕生してから一度として絶える事のない命を受け継いでこられたご先祖様の命をいただいて生かされているのです。
そして、この命は、未来へと繋がり、これから多くの命を生み出す可能性を持っているのです。
 現実として、長い人生では、生きていく事が辛い、「死んだ方がマシだ」と思うことともあるでしょう。貧富の格差が拡大し、弱者切捨て社会の現代は、一段と生き難い世の中である事は事実ですが死んでしまったら終わりです。悔しいではありませんか?
 「悔しい」思いを「生きる糧」にして生きていて欲しいと思います。        (つづく)
 
【2008/01/21 23:36】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
阪神淡路大震災から13年・命の尊さを学ぶ
 昨日17日は、13年前の午前5時46分、震度7の大地震が兵庫県神戸市を中心に襲い6,343人の犠牲者を出した阪神淡路大震災の日でした。
 突然に襲ってきた大地震によってビルや家屋、道路が崩壊しいたるところで火災が発生しなすすべもなく多くの人々が命を奪われました。
 多くの人々が、人の命の儚さを痛感した事と思います。命の尊さを学んだ事と思います。
 この震災の時、暴走族の少年達が、助けを求める声に応じて多くの被災者を救出したそうです。「ありがとうございました」と手を合わせて感謝の言葉を述べる人達の姿に「自分も人に感謝される事ができるんだ」と自分の生きる意義を見出して更生した若者も多かったそうです。
 しかし、今ほど人の命が粗末に扱われている時代はないのではないでしょうか。
連日の如く、殺人事件が発生しています。親殺し、子殺し、自分が楽をするため、金の為には人の命を何とも思わない人間が増え続けています。
 戦後の経済的発展によって大多数の国民は豊かさを享受することができたことでしょうが、逆に豊だった心はどんどん貧しくなってきたようです。
「自分さえ良ければ」という利己主義が蔓延しています。
 我が国の経済も次第に斜陽傾向が顕著になってきました。心も貧しく経済も貧しくなったのでは救いようがないかもしれません。
 今必要な事は、厳しい社会だからこそ家族で力を合わせて苦労を乗り越えていく心構えでしょう。地域の人々が力を合わせて住み良い環境を創っていく事ではないでしょうか。
【2008/01/19 00:15】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
人間から「愛・慈悲心」を取ったら「鬼」になる
 昨年の11月に静岡県浜松市役所前の路上で、70歳のホームレスの女性が餓死したそうです。
 昨日の毎日新聞の記事によりますと、昨年11月22日昼頃、以前から浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が駅地下街で弱っているのを通りかかった警察官が発見し119番通報。
救急隊は女性から「4日間何も食べていない。ご飯が食べたい」と聞き、中区社会福祉課のある市役所へ運んだそうです。
 女性は、自力で救急車から降りたもののアスファルトの路上に身を横たえました。
市役所福祉課では、常備している非常用の乾燥米を渡しました。この乾燥米は袋を開けて熱湯を入れて20分から30分待たないと食べることができないそうです。水であれば1時間以上待たなければなりません。その非常米を渡して見守ったそうです。
 その後、守衛が常時見守り、福祉課の職員や保健師が様子を見に訪れ、市の高齢者施設への短期収容も検討されましたが施設側が難色を示してそのままに。
偶然通りかかったホームレス支援団体のメンバーの女性が、女性に近寄って体に触れ話し掛けたが反応がなく、職員に119番通報を依頼したが手遅れだったそうです。
 その後の、市役所、救急隊は責任回避の弁明ばかりであります。
支援団体の女性は「職員が路上の女性を取り囲み、見下ろすような異様な光景でした。保健師もいたのに容態を見るでもなく、冷たいアスファルトに寝せたまま建物内に入れるとか毛布を敷く配慮もなかった・・・」と嘆いていたそうです。
 非常米は未開封のまま女性の胸元に置かれていたそうです。
 皆さん、これがこの国の人間の有様です。「公僕」と憲法に謳われた公務員がこの体たらくです。
 私は、この職員達は「保護責任者遺棄罪」に当ると思います。目の前で救命措置を必要としている人を放置することは「不作為犯」です。
 この職員達の心の中に「愛・慈悲心」があったならこのホームレスの女性は死ぬことはなかったはずです。
 熱湯を入れないと食べることができない非常米を渡して「食事を与えた」とは笑止千万です。
 小泉・安倍内閣は「自己責任論」を振りかざして行財政改革と過度の規制緩和をやりました。
 「貧乏して苦労するのもあなたの責任です」「飢え死にするのもあなたの責任です」「貧しさに耐え切れず一家心中するのもあなたの責任です」と全てを「自己責任」として弱者を切り捨てるこの国の衆愚政治が見て取れます。
 絶命寸前の老女を取り囲んで見下ろし、その時を待ったこの馬鹿共に血税が給料として使われていることに怒りさえ覚えます。
 大地から水が無くなれば砂漠になります。人の心から「慈悲心・愛」が無くなった時人は鬼になるのです。
 昨日も、天草市の新和町で39歳の息子が65歳の父親を殺しました。
動物は、子供を産んだら一生懸命に育てます。今、人間という動物が子育てを放棄するどころか虐待し殺害するという動物以下の人間が増加しております。また、親を殺す鬼畜以下の人間も増加しています。
 本来、人間は成長した子供が年老いていく親の面倒を見る動物だったはずです。他の動物で親の面倒をみるものはいません。
 「親の面倒を見る」というのが人間の特徴でもあるのです。
【2008/01/17 10:12】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
親子関係の原点を見直そう
 青森で18歳の長男が母親と弟と妹の3人をナイフで殺害する事件が発生しました。
昨日の報道では、母親のお腹の中には人形を入れていたそうです。
長男の証言では、小説家になりたかったそうで、その為にこの様な残虐な事件を起こしたということのようです。
 また、37歳の父親が赤子を投げ落としたあげくクッションを口に押し付けて窒息死させました。
 親が子を殺す、子が親を殺すという浅ましい事件が続発しております。 
 この種のニュースを見ても聞いても「またか」と思いますが次第に驚かなくなってきています。
 このような凶悪犯罪や残虐な事件に慣れっこになっていくということはとても怖い事です。
 赤ちゃんの1日仕事は、おっぱいを飲むここと眠る事、泣く事、ウンチやしっこをすることでありますから泣くのは当たり前のことで親が腹を立てて「泣くな」と言っても解る訳がありません。
 動物としての親(動物以下)が親になりきれていない。動物的な営みの結果、子供が生まれて「親」にはなれますが「人間の親」にはなれていないということでしょう。
 逆に、親が子育てをまともにできないと人間として育たないという事もいえます。
18歳の少年の家庭にどんな事情があるのか、あったのか分かりませんが少年を残虐行為に向かわせることがあったのでしょう。或いは、これまで育ってきた家庭の中で、学校や地域の中で何かがあったのでしょう。
 人間は、生まれて成長する過程で、人間として育てなければ人間になれない動物です。
躾や教育しなければ犬や猫、動物と同じです。いや、それ以下かもしれません。
 孟子の言葉に「飽食暖衣 逸居して教えざるは 即ち禽獣に近し」という教えがあります。
美味しい物を沢山食べて良い服を着ていても、怠けて人としての躾、教育をしなければ禽獣(けだもの)と同じだという事です。
 人間の親子として巡り会う事、共に生きる事をもう一度原点から見直す事が必要です。
 
このテーマについてはこれからしばらく書き続けてみたいと思います。
【2008/01/16 09:55】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
銀河カレッジの成人式
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 今日は午後1時30分から宇土市にある社会福祉法人銀河の会の成人式がありました。
今年は三人の施設利用者と職員一人、計四人の新成人のお祝いが盛大に開催されました。
 この施設は、社会福祉法人銀河の会が運営する知的障害を持つ人達の通所作業所で現在25人の人達がケーキ作りやクッキー作り、レストランの運営に携わっています。
 私は、毎年、ここの成人式に招かれて一緒にお祝いをしております。
成人式は、作業所の仲間と職員、ご家族や支援者の皆さんも参加されてとても和やかな楽しい成人式です。
 今回、成人式を迎えた職員のお嬢さんは小学校時代に私の書道塾に来ていた娘さんで、すっかり大人びて立派になっておられました。
嬉しい限りです。
 また、昨日は、我が家の末娘の成人式で、午後から父の所や兄弟の家に晴れ着姿を見せに行ってきました。92歳の父は、最初、次女と長女の見分けが着かなかった様でしたがとても喜んでくれました。
 子供が成長するということは、親は年をとるということですから仕方ないでしょうが元気で年を取りたいものです。
 写真は、銀河カレッジの成人式を迎えた方々です。一番下の写真、左側の娘さんが職員のA子さんです。
 銀河カレッジの皆さんのご多幸をお祈りしたいと思います。
 
【2008/01/14 16:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
新「テロ特措法」が衆議院の再議決によって成立
 今日は、57年ぶりに国会で衆議院による再議決が行われ法案が成立しました。
成立した法案は、テロ特措法です。アフガニスタンでテロ掃討作戦を展開するアメリカ軍の艦船に燃料や水などの物資を供給することを定めた法案です。
 この給油活動については、給油を受けた艦船がイラク戦争に使われているのではないか。或いは、給油した燃料の量が曖昧であったりと疑わしいことが沢山ありました。
 防衛省の不正や様々な疑惑も浮上しましたが守屋前事務次官の収賄容疑と国会の証人喚問に於ける偽証罪が問われる程度で本物の巨悪は解明されないままであります。
 民主党や野党は「国連決議に基づかないアメリカの戦争であるから速やかに停止すべきだ。新法も廃案にすべきだ」として反対してきました。
 今日、参議院で否決され衆議院に返されましたが衆議院では圧倒的多数の自公与党によって再議決が行われ成立したのです。
 私は、勿論反対であります。仏教教団である創価学会の政治団体である公明党が殺人行為に手を貸す法案に賛成したことも不思議でなりません。
 「与党の立場」に就くと目先の地位と名誉にしがみつくのでしょうか。
 このアフガニスタン、イラクへの侵攻はアメリカのブッシュ大統領を中心とする覇権主義者たちが自国と自らの利益の為に行った侵略行為であります。
その後方で支援活動することとは戦争に加担することに他なりません。
アメリカと敵対する国から見れば、我が国はアメリカの同盟国であり敵対国に他ならないのであります。
 我が国が供給した燃料によって動く戦艦や戦闘機が打ち込む銃弾やミサイルが命中する場所に何の罪のない子供達や女性、老人、多くの民間人がいることを思うと虚しさと悲しみが込み上げてきます。
 この給油のために使う血税を国内で貧困に喘ぐ人達の為に使ったらどれだけ多くの人々が救われるでしょうか。それは、アフガニスタンやイラクで殺されずに済む人達が増加すると言うことなのです。
 平和憲法を持つ我が国がやるべきことは戦争の後方支援ではなく、話し合いによる和平の道筋を示すことであり、話し合いのテーブルを用意することではないでしょうか。
 我が国は、政治も文化も経済もアメリカに追随してきました。その結果が、貧富の格差の増大と圧倒的多数の低所得者を生み出そうとしているのです。そして、犯罪大国であり凶悪犯罪が蔓延る社会であります。
 政治家の方々は、苦労知らずの二世・三世のお坊ちゃま議員が主要ポストをに座って国民の苦しみは見えないようです。
 今回の新テロ特措法の成立は、我が国の進み行く暗黒の時代への改札口となりましょう。
私の予想が間違いであることを願うばかりであります。
【2008/01/11 17:09】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
「危険運転罪」回避の判決、逃げ得を助長しないか
200708161516234
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  写真は、一昨年の8月25日の夜、福岡市で発生した飲酒運転の車に追突されて橋から海に転落した乗用車に乗っていた5人家族の幼い子ども達3人が死亡した痛ましい事故から1年後、この子供達の菩提寺である東区馬出の妙徳寺にご両親によって建立された三体のお地蔵様です。
 一周忌の法要は、昨年8月19日の日曜日に営まれました。
加害者の福岡市の職員が飲酒運転さえしなかったらこの事故は起きなかったでしょうし幼い子供達の命も奪われる事は無かったでしょう。

 昨日、福岡地裁でこの事故の加害者に対する判決が出ました。
検察は「危険運転罪」の適用を求めていましたが判決は、「わき見運転が原因」として業務上過失致死罪を適用して懲役7年6ヶ月の判決を言い渡しました。
 私は、この判決に対して極めて違和感を感じました。それは、被告人は、一般道路を飲酒運転で時速100キロの猛スピードで走行していました。
 被害者の車に激しく追突、被害者の車は橋の欄干を突き破って海に転落したのに現場から逃走して友人に「身代わり」を依頼し、大量の水を飲んでアルコール濃度を薄めるなどの工作をしました。
 これらの行為を「悪質・危険極まりない運転」と言わずに何というのでしょうか?
 危険運転罪の構成要件の中には、下記の四つの違反行為によって人を死傷させた場合があります。
①飲酒や薬物の影響で正常な運転が困難な状態
②制御困難な高速走行
③通行妨害目的の割り込みや幅寄せ
④赤信号を殊更に無視
 一般道路を時速100キロで走る行為は明らかに②に該当すると思いますし事故直前までの飲酒の量は①の「正常な運転が困難な状態」であったと思います。
 私は、前途有望な被告人の更生を考えれば確かに少しでも刑を軽くするべきと考えます。しかし、被告の行動は「悪質」でありますから「危険運転罪」の適用が妥当だと考えます。
 裁判官が意図的に罪を軽減することを考えたとさえ思えるのです。
 この判決は、「わき見運転」を主張して罪を軽減させ、逃走して隠ぺい工作をするという「逃げ得」を助長しはしないかと心配であります。
【2008/01/09 02:09】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
永平寺の宮崎禅師様が御遷化
 昨日、曹洞宗大本山永平寺の宮崎禅師様が106歳で御遷化になられました。
宮崎禅師様は、曹洞宗の管長も永年勤められた「生き仏」と言える素晴らしい禅師様でした。
 最近まで、修行僧と共に坐禅をし、教えを説いておられました。
 いつお会いしても自然と合掌して拝みたくなるお方でした。
 朗々と訥々とお説法されるそのお言葉は常に道場にあって坐禅を続けてこられた、つまり四六時中仏道修行に打ち込まれてきたその御心が一言一句に篭っていて聞く人をして安心(あんじん)を得せしむる力がありました。
 今年も、禅師様の書が印刷されたカレンダーを総代さん達に配布しましたが宮崎禅師様の最後のカレンダーになってしまいました。残念なことです。
 禅師様の御心をいただいて、これからの日々を過ごして参りたいとあらためて決意しております。
【2008/01/06 17:43】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
光陰は矢よりも速やかなり身命は露よりも脆し
 新年も既に4日が過ぎ去ろうとしています。
 1日1日があっという間に過ぎ去って行きます。
道元禅師は「光陰は矢よりも速やかなり身命は露よりも脆し・・・」と時間の過ぎ去ることの速やかなことと命の儚さを説いておられます。
 特に、1月から3月までは、1月走る、2月は逃げる、3月は去るというようにあっという間に過ぎ去っていきます。
 私は、2日から檀家の年始回りをしておりますが、この正月三が日は時間に追われているのが現実です。職業柄、正月とお盆は、現役でいる限りゆっくりすることは出来ません。
 そういう意味から、私の一つの願いは、正月に旅行に出かけて見たいということです。
隠居すれば叶うのでしょうが・・もうしばらくは無理のようです。
 この三が日、元日は入院中の父を見舞い、長兄の家に寄り飲みました。
 2日からは年始回りでしたから夜は、2日、3日と帰省中の息子と娘達と飲みました。
お陰で何キロか太ったようで今月の血液検査の結果は怖いことになりそうです。
 成長していく子供達と一緒に飲めることはとても幸せなことだと思います。
子供のころの思い出を語らいながら人生談義で盛り上がります。
 昨夜、息子が私から随分厳しく叱られ叩かれたことを話していました。私が叩いたのは小学校3年生まででその後は一切叩くことはありませんでしたというより叩く必要はありませんでした。
 厳しかったことは事実でして、息子は、そのことを「良かった」と言ってくれました。
 子供の躾は、10歳までに厳しくして、ことの善悪を教えておくことです。小さい時に甘やかして中学校以上になって躾けようとしても手遅れです。
 多くの親達が、子供が成長していくことを忘れて、可愛いばかりに溺愛して勝手し放題にさせて小学校高学年ぐらいから、もやしみたいな子供、逆に我儘な子供に苦労している姿を見掛けます。
 子供は人格を持った人間であり独立して行かなければならない存在であることを見失っている親の失敗なのです。
 お陰様で、我が家の3人の子供がそれぞれの目標に向かって頑張っている姿は頼もしく思えます。
「光陰は矢よりも速やかなり・・・」は常日頃から子供達にも言っていることです。
 「生死は仏の御命なり」・・・「時は命也であります」この命を大切に生きていきましょう。
【2008/01/04 22:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
三元大般若祈祷
 禅寺のお正月は、元日から三日まで毎日、早朝より大般若祈祷(だいはんにゃきとう)法要を勤めます。
 特に、三が日は、1日が文字通り元日、2日が二元、3日が三元と言いまして三元大般若祈祷と言います。
 これは、年頭に当って、世界の平和、国民の幸福、檀信徒の家門繁栄、無病息災などを祈願するものです。
また、この時に、暮れにひとつひとつ版木で刷って作成した「大般若祈祷札」を祈祷して3日から檀信徒の各家に年始の挨拶として配って回ります。
 この大般若祈祷は別名、修正会(しゅうしょうえ)とも言いますことから修正会が行われる月から「正月」というようになったとも伝えられています。

 昨夜は、暮れに転倒して腰椎を圧迫骨折した父(92歳)の見舞いと年始の挨拶に行き、長兄の家にも寄って年始の挨拶をしてきました。
 父は、暮れの27日に気管支炎を患い、病院に行こうと兄の車に乗ろうとして転倒してしまったということです。初めて正月を病院で過ごすことになったことで心配しましたが思ったより元気でしたので気力で乗り切ってくれるものと思います。
 
 兄には、5人の孫がいますが、子供は本当に可愛いものです。無邪気な子供達を見ていると子供達の為にも、安心して暮らせる社会、輝ける未来を創って行かなければならないとつくづく思います。そういう思いも込めて大般若祈祷は行われるのです。
 明日も、午前6時半からお勤めします。
 
 
【2008/01/02 08:23】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
謹賀新年
 謹んで新春のお慶びを申し上げます。
また、昨年中にご親族を亡くされた方にはお悔やみを申し上げますと共に今年が良い年になりますようお祈り申し上げます。

 「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」これは、一休禅師が詠まれた句であります。
「正月早々、縁起が悪い」とお叱りを受けるかもしれませんが、現実問題として、私達人間は、生まれた途端から1分1秒、時間と共に老いて行き着実に死への道を辿っているのです。
 もう既に初詣に行かれた方も多いかと思いますが、神社やお寺にお参りして様々な願い事をされると思います。
 「健康で長生きしますように」、「病気が治ります様に」、「ぽっくり行きます様に」、「宝くじが当りますように」、「家族が幸せであります様に」、「受験に合格します様に」などと様々な願い事があるでしょう。
 「長生きを祈る間も減る命」と申しまして、「長生きしますように」とお参りしている間も確実に命は減っていくのであります。
 私は、決して「長生きを祈るな」と言っているのではありません。儚い命、「一寸先は闇」と言う様に、明日はどうなるか分らないからこそ、生かされているこの命、この時を大切に生きていかなければならないと申し上げたいのです。
 これは、極当たり前のことではありますが、それがなかなかできないのが人間でありまして、過去を振り返って「ああしとけば良かった」、「こうしなければ良かった」、「こうすれば良かった」と後悔をするのであります。

 禅の教えに、「随処に主となれば立処即ち皆真なり」という教えがあります。自らが生きるその場所、その時を精一杯正しく生きることが本来のあるべき姿であると言うことです。
また、禅の修行では「只管打座(しかんたざ)」と言いまして「ひたすら座る。坐禅することに徹する」ことを言います。
 お釈迦様は、坐禅をしてお悟りを開かれました。坐禅に徹する時、それは、坐禅に徹する修行者がお釈迦様に成ると言う事です。
 今年をどう生きるのか・・・この三が日、しっかりと考えて見ましょう。
 年頭に当りまして愚僧からご挨拶を申し上げました。
 皆様、ご家族ご一同様のご健勝をお祈り申し上げます。  合掌
【2008/01/01 10:47】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)


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プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
(著書)美しい地球と未来を子供たちに ㈱ぱんたか刊 1300円 この本を送料・税込み1000円で差し上げます。

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