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いのちを語る⑩無言の天使
 昔、何度か繰り返し放送されたNHKの番組に「大草原の小さな家」というアメリカの西部開拓時代のドラマがありました。今から14、5年前のことですが、とっても印象深い内容でしたのでご紹介します。タイトルは「無言の天使」です。
 マイケル君(10歳位)とジヨッシュ君(5歳位)は親から捨てられた兄弟で、養護施設で生活していました。ある日、子供のいない夫婦が養子を求めて訪ねて来ました。園長は、この兄弟を夫婦に紹介しましたが弟のジヨッシュ君は一言も口を利きません。夫婦は「下の子は口が利けないようだから要らない。上の子だけを養子に貰いたい。明日、迎えに来ます」と言って帰っていきました。
 その日の夜、マイケル君は「このままでは可愛い弟と引き離されてしまう」たった2人だけの血を分けた兄弟です。離れ離れになることは我慢できませんので施設を逃げ出しました。
そして、隠れたのがヒューストンという農家のおじいさんの納屋でありました。
 ヒューストンおじいさんが農作業を終えて帰ってくると見知らぬ子供が2人、納屋の中で寝ています。「僕達、どうしたんだい?」心配そうに声を掛けたおじいさんの声で目を覚ましたマイケル君は「ごめんなさい。勝手に入り込んで・・・」「それは良いんだよ」とおじいさんは優しく答えます。「旅の途中なんです」とマイケル君。「お腹すいてるだろう・・こっちへおいで」と母屋に案内してパンとミルクをご馳走します。「今夜はここに泊まりなさい」と言って2人を泊めることにしました。
 2人が眠ってからおじいさんは、保安官には届けるべきだろうと考えて保安官事務所を訪ねます。
事務所に着くと丁度、養護施設の園長が来ており、保安官に兄弟が逃げ出したこと、養子に上の子だけが貰われていくことを話していました。
おじいさんは「このままでは、あの子達が可愛そうだ」と思い、黙って帰ります。
 おじいさんは「この子達を自分が引き取ろう。そうしたら、兄弟が一緒に暮らせる」と考え生活費を稼ぐ為にこれまで以上に仕事に励みました。そして、ある日、炎天下で農作業をしていたおじいさんは、ばったりと倒れてしまいました。驚いたマイケル君は一目散に養護施設へ行き、園長と医師を呼んできます。その結果、幸いにも大事に至らずに済みました。
 おじいさんの家に、保安官や養子を求めている夫婦、チャールズインガルス(この物語の主人公)も集まってきました。
 養護施設の男性職員が「こんな貧しい一人暮らしのおじいさんに、この子達を養える訳がない。家財道具もなにもないじゃないか」とおじいさんを批判しました。それに対してインガルスが「いや、それは違うよ・・おじいさんは素晴らしいものをもっているよ・・愛というものをね」と言います。職員は黙り込んでしまいました。
 夫婦は相変わらず「お兄ちゃんだけを貰っていく」と言っております。
 そこへ、ベッドから起き上がったおじいさんが出てきて「おい、黙って俺の話を聞け・・頼むからこの子達を引き離さないでくれ。たった2人だけの血を分けた兄弟じゃないか、一体、この子に何を話せというのか?どうして僕達捨てられたの?どうして僕達誰からも愛してもらえないの?どうして僕だけ貰ってくれないの?・・・こんなことを言わなければならないのなら・・・何も喋らない方がましじゃないか?」おじいさんは涙を流しながらジヨッシュ君を抱き上げて「愛してるよ」と言って頬擦りするのです。すると、今まで一言もしゃべらなかったジヨッシュ君が「おじいちゃん・・・愛してるよ」と泣きながらおじいさんに頬擦りするのでした。
 「喋れるじゃないか」誰もが喜び、感動の涙を流しました。そうして、この兄弟は夫婦に引き取られることになったのです。
最後の場面は、農作業をしているおじいさんの処へ学校から帰ったこの兄弟が手伝いに来て一緒に我が家に帰っていくのです。そう、そこには新しい5人の家族団らんがありました。
 これが、私が感動して涙した「無言の天使」です。
キリスト教では「愛」「博愛」を説きますが、仏教では「慈悲」「慈悲心」と言います。まさに、ヒューストンおじいさんの行動は「慈悲行」そのものであります。
 私達が拝む「地蔵菩薩」「観世音菩薩」が人の姿に姿を変えて現れたということであります。
「傀儡子(くぐつし)の肩に掛けたる人形箱 仏出そうと鬼を出そうと」これは、一休禅師の歌ですが、人の心の有様を詠んでおられるのです。
 お互い仏の顔で過ごしていきたいものです。
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【2007/01/31 21:56】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
いのちを語る⑨出会えて良かったね・・・
 時々、若いお母さんが訪ねてきてくれます。
Aさんは小学校高学年の娘さんがいるのですが反抗期で親子喧嘩も度々で「どう相手したらいいのか分からない」と悩んでいました。
私は、「あなたは誰のお蔭でお母さんになった?・・・そのお嬢さんが生まれてきてくれたからお父さんとお母さんになれたんだよね・・・だったら先ず『生まれてきてくれて有難う』と思いましょう。
そして、それを言葉にしてお嬢さんに言いましょう。
子供が反抗するということは『自我に目覚めて来た』という事で決して心配したり嘆いたりすることではないでしょう・・・むしろ『反抗するようになったか・・』と喜ぶべきことですよ。今度、反抗して喧嘩したらぶつかり合ってお互い泣いて、『生まれてきてくれて有難う』と言って抱きしめてあげなさい。そして『お母さんはあなたのことが大好きなんだけど良いお母さんになれなくてごめんね』と言って御覧なさい。
お嬢さんは愛されていることが分かって安心するよ」と話しました。
 それから数日後、Aさんは笑顔で訪ねて来ました。
実際に私が言った通りのことがあって、お嬢さんは学校であったことや友達のことなどを話すようになり、お母さんとの関係がすっかり良くなったそうです。
 人間は誰でも、愛されたいのです。また、人を愛することによって生きる希望も意味も感じるものだと思います。
子供は自分が望まれて生まれてきたと言うことが自分自身の生きる証でもあるのです。たとえ「出来ちゃった婚」であったとしてもその子は生まれたいと願い生まれてきたのであり、夫婦にとっては望んで生まれた子供なのです。
 「生まれて来なければ良かった」などと人格を否定するような言葉は絶対に言ってはならない言葉です。
「出会えて良かったね」「生まれてきて良かったね」「あなたのお父さんで、お母さんで良かった」「おとうさんの、お母さんの子供で良かった」そんな家族でありたいと思います。
 私のブログを読んでくれているあなたへ「出会いをありがとう」
 
【2007/01/31 01:01】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
いのちを語る⑧四苦八苦の人生をどう生きるか?
 私達の人生は四苦八苦と申しまして思い通りにならないのが当たり前であります。思い通りにならないからこそ努力し成功した時の喜びも大きいのではないでしょうか。
 また、盛者必滅会者定離の理があるからこそ共に支えあい生きていく喜びが愛し合う喜びがあるのでしょう。
ところが、現代の有様はどうでしょうか?親が子を虐待したり殺したり。子が親を虐待したり殺したりと、信じられないような浅ましい事件が続発しています。「物満ちて心寂しい現代人」と30年前に大先輩の布教師さんがお話くださいましたが・・・正に豊かさと引き換えに「人の心」を捨ててしまったのが現代人の中にはあるようです。
我が家にはレオという雄犬とルナというメス犬(去勢手術済み)がおります。烏や目白、ヒヨドリ、スズメ、野良猫君も何匹か住み付いています。犬以外は全て放し飼いです(笑)この動物や鳥達は季節が来ると卵を産み暖め、子を産み一生懸命に育てています。楠の烏の巣からはもう何羽もの雛が巣立って行きました。さて、この動物や小鳥達は大きくなった子供は巣立って行って親の面倒をみることはありません。
 この世の中で、大きく育った子供が親の面倒をみるのは人間だけであります。だからこそ「万物の霊長」と言うのではないでしょうか?
「人間は考える能力があり頭が良いから万物の霊長と言うのだ」と言う意見が大勢だと思いますが・・・考えて見てください。人間ほど愚かな動物はいないのです。地球を何回も破壊できる数の核兵器を製造し、血を血で洗う戦争を繰り返し、利益の為には環境を破壊し続けています・・・こんな愚かな動物は他にはいません。
 人間が地球上にいなかったらどんなにか世界は平和だったでしょうか?私は、そう思います。
親が子を殺す、子が親を殺すことは人間の世界ではあってはならないことです。こういう輩は人間の顔を被った鬼畜以下の生き物です。
「鬼だ」と言ったら「俺は子供のためには悪いことをしても我が子は殺さないぞ」と鬼は言うでしょう。
 先日は、厚生労働大臣が女性を子供を産む「機械」と発言して非難を浴びていますが人間を機械呼ばわりする程度の人間が閣僚になるのですから世も末ということでしょうか?
 人という字は人と人が支えあっている姿を文字にしたということですが支えあって共に生きていくならば四苦八苦の人生も楽しくなるのです。
 私は、結婚式の祝辞の中で「苦しい時二人で力を合わせれば半分になり、喜びの時、2人で分かち合えば喜びは2倍にも3倍にもなります・・・何時も2人で支えあって人生を歩んでいただきたい・・・」と言う事にしております。                つづく
【2007/01/29 21:02】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
日米合同軍事演習反対総決起大会
20070127152036
今日午後2時から山都町で日米合同軍事演習反対総決起大会が開催されましたので参加しました。
 沖縄を含む九州各県から約500人の参加者があり主催者挨拶、連合の河瀬会長、社民党熊本県連の森川代表、民主党熊本県連の松野信夫副代表の挨拶、大分県日出尾台演習場の地元、沖縄県からの代表などから連帯の挨拶と現状報告がありました。
 今、憲法改正(悪)論議や軍事演習の強化などきなくさい状況は世界平和の観点から極めて危惧すべき問題です。
【2007/01/27 15:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
映画のチケット販売協力に感謝
 私のブログで映画「新・あつい壁」のことを読んで下さった岡山の女性と宇土市内の女性から「製作上映協力券」の販売協力の申し出をいただき有り難くお世話になりました。
 こういう素晴らしい方々に私の拙いブログを読んでいただいていることに感謝しお礼申し上げます。
 この場を借りてご紹介とお礼を申し上げます。   合掌
【2007/01/25 21:37】 | 新あつい壁 | トラックバック(0) | コメント(0)
いのちを語る⑦四苦八苦
 昨日は、博多で会議があり遅くに帰宅しましたのでブログを書くのを失礼しました。生・老・病・死の四苦について先日書きましたが、今日は残りの四苦について書きます。
⑤愛別離苦(あいべつりく) 
 「先立てて 泣くか我が身が泣かるるか 他に道なし 哀れ世の中」という歌があります。生きて分かれるか死んで分かれるかは別として、人間会ったら必ずいつかは分かれて行かなければなりません。逆に「別れ」があるからこそ出会って伴に生きていくことの、愛し合う喜びがあるのではないでしょうか。もし、別れというものがなくてずーっと一緒に居なければならないとなると「ぞーっ」とすると言う人が多いかもしれません。(笑)
いずれにしても、何時かは分かれて行かなければならない定めなのです。
⑥怨憎会苦(おんぞうえく)
 愛別離苦とは逆に縁があれば「嫌だ」と思う人とでも出会わなければなりません。
地域や職場、学校、或いは家庭の中で憎しみ会いながらも暮らしていかなければならないこともあるのです。ただ、考え方を変えることによって憎いと言う思いが消えてしまうこともあります。
 小説、宮本武蔵の原作者吉川英治先生は「私は未だかつて嫌な人間と出会ったことがない」と言っておられます。「自分に対して嫌なことをする人、言う人は『こういうことをしてはいけない。こういう事を言ってはいけないということを身を以って教えてくれているんだ』と思って接してきた。また、まだまだ自分が未熟なんだと思って生活してきた、だから嫌な人間とは出会った事がない」と言い「われ以外我が師」と言い切っておられます。ここまで達観するのは、私達凡人には難しいことかもしれませんが、人間、誰でも「良いところ」は持っているものです。嫌な人であっても長所を見つけてお付き合いするのもひとつの方法ではないでしょうか。
⑦求不得苦(ぐふとっく)
 私達には、欲しい物がいろいろありますが求めても得られない苦しみを言います。
私達人間それぞれ「自分のもの」は何があるでしょうか?洋服、宝石、家、土地・・・自分のものですか?果て・・・あの世に持って行けますすか?全て否です。一番可愛がっているものは何?夫、妻、子供、ペット・・・?あの世に一緒に行けますか?・・・否です。
この世の中で自分の物などなにもないのです。ただ、生きている間の借り物であります。死んでいくとき何も持って行く事はできません。
道元禅師は「ただ己に随い行くは善悪業等のみなり」と生前に行った善業、悪業だけが着いて行くと示しておられます。さて、私達は生きていくからには罪を造らずには生きていけません。体を養う為には食べなくてはなりません。つまり、食べ物の命を奪わずには生きていけないのです。だから「いただきます」と手を合わせて感謝と懺悔(さんげ)の心を表すのです。そしてまた、生きておれば考えてはいけないことを考えたり、してはいけないことをしたりします。知らず知らずの内に人を傷つけることさえあるのです。だから常に自分を省みて反省(懺悔)する必要があるのです。
 もし財産を持って行きたいならば生きている間に布施(施し)をして功徳という手形に変えると(善業)として持って行く事ができます。
「我にある物 我が物に非ず 物施し終わって 我が物となる」という歌があります。味わってみてください。
⑧五薀盛苦(ごおんじょうく)
 私達の体は、目に見える身体(色)と心(受・想・行・識)の世界によってできています。目に見える世界を「色界」と言い、目に見えない心の世界を「無色界」と言います。
 綺麗な水仙の花が咲いています。それを見た(受)私は、綺麗だなぁ(想)と思い、切ってお仏壇にお供えしました(行)。この行為は私の業として私の心と身体に蓄積(識)されていきます。
 この身体は、元気な時は欲望を満足できずに苦しみ、年老いてくれば思うように身体も心も操れなくなって苦しむのです。これを五薀盛苦、或いは、衰えていくということで・・衰苦とも言うのです。
以上、四苦八苦についてご説明しましたが要は「思い通りにならないのが人生だ」ということです。
【2007/01/25 21:20】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
いのちを語る⑥ 四苦(生・老・病・死)
 私達は、尊い命をいただいて生まれさせていただきました。しかし、その人生は、昔から「四苦八苦の人生」というように思い通りにならないのであります。四苦八苦の四苦からお話しましょう。
①(生苦)生まれたことによって様々な苦悩が始まりますから生苦と言います。お説教の時にこんな話をします。
 お母さんのお腹から生まれる時、赤ちゃんもお母さんも大変な苦痛を味わいます。しかし、生まれてきた赤ちゃんもお母さんも「おぎゃーおぎゃー」という泣き声を聞いた途端に苦しみが喜びに変わるそうです。中には喜びに変わらずに「苦しかった。あんな苦しい思いをして産んでやったとに・・・」と思っている母親もいるようです。そうすると、子供は「我が勝手に産んどいて何を言うとか・・。誰も産んでくれとは頼んではいない・・・」と言い返します。
さて、生まれて来る時に、親を選んだ子供も子供を選んだ親もいません。尊い「縁」によって親子として生まれて来るのです。
時々、「人間は生まれて来る時に親を選び人生を計画して生まれて来る」という説を唱える人がいますがそれは間違いです。
親を選んで生まれてくるということは生まれる地域をも選んで生まれてくることになります。地球上には白人・黒人・黄色人種と肌色の違う人種がおりますが、今でも現実に差別があります。部落差別も、同じ日本人でもアイヌ民族の人たちに対する差別も残っています。「自分で選んだ」ということで差別を容認することにもなりかねないのです。また、「人生を計画してくる」という考えを容認すると、犯罪に巻き込まれて命を奪われた人や事故に遭って命を落とした人たちに対して「あなたが計画してきた人生です」と言う事になります。こんなことが許されるでしょうか?
 道元禅師は「人間として生まれてくることは極めて難しいことであるが、父母の縁と自らの因によって願って人間として生まれてきた。このことに感謝し命を大切にそして人様の為に(菩薩行)に生きなさい」と教えておられます。人間として生まれてきたことが素晴らしいことなのです。
余談になりましたが、生まれたことによって四苦八苦の人生を歩まなくてはならない・・・これが「生苦」の本来の意味であります。 
②(老苦)生まれて成長して行きます。時とともに成長しやがて老いて行くこれを老苦と言うのです。
「長生きを祈る間も減る命」と申しまして時計の秒を刻む音とともに歳を取っていかなければならない人生であります。
③(病苦)生きていれば必ず病気をします。これを病苦と言います。
④(死苦)生まれたら死ぬと言う保証付です。どんなに死にたくないと思っても生まれてきたら必ず死ななければなりません。逆に「死」があるからこそ「生きる」ことの意義があるのです。
永平寺の管長だった佐藤泰舜禅師様は目が不自由で視力はなかったお方です。佐藤禅師は「生を生たらしむるものは死なり。死を死たらしむるものは生なり。行き遂げる、死に切る」とこの命を精一杯生きることを示されました。
【2007/01/23 23:50】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(1)
いのちを語る⑤
 昨日(22日)は今年初めての刑務所の教誨でした。
 先だって書きました、法句経の「人の生を受くるは難く・・・」について話しました。
今年は、正月草々、驚愕するニュースが続きました。浪人中の兄が妹を殺害しその遺体をバラバラにした事件と妻が夫を殺害し遺体をバラバラにして捨てた事件です。どちらも大方の人間にとっては信じられないような事件であります。
 人間が生まれてくるのが難しいのであれば当然、親子として、兄弟として出会うこと、夫婦としてめぐり合う事は難しいことであり尊いことと言えましょう。それが、殺す側と殺される側、加害者と被害者になるのですからこんな悲しいことはありません。同じ親から生まれてきた子供がそんな最悪の関係になるのですから親としてはたまったものではないでしょう。もし、我が子がそのようなことになったら気が狂ってしまうのではないかと思います。
 お釈迦様が御在世の時代に実の父を牢獄に幽閉し殺してしまった王子がいました。彼の名はアジァセ太子で父はビンビサーラ王、母親はイダイケ婦人です。
 お釈迦様の従兄弟でダイバダッタという男がおり、お釈迦様に何事につけても劣っているこの男は劣等感から様々な問題を起こしておりました。
 ある時、青年になったアジャセ太子に「お前の父王はお前が子供の時にお前を殺そうとしたことがある。今の内に父王を殺さないと殺されるぞ」と唆しました。騙されたアジャセ太子は父王を牢獄に幽閉し食事を与えないで餓死させようとします。そのことに深い悲しみを抱いた母イダイケ婦人は体中に蜂蜜を塗って王の面会に行ってはその蜜を舐めさせていました。
 なかなか衰弱しない父王のことを不振に思った王子は家来に命じて父王と面会している母王妃をこっそりと監視させました。その結果、体に塗った蜂蜜を舐めさせていることが判明し、怒った太子は遂に父王を殺してしまいました。
 この悲劇をイダイケ婦人は、お釈迦様に訴え、救いを求めたのです。 お釈迦様はアジャセ太子に教えを説き彼の過ちを戒められました。その結果、太子は、自分が犯した大きな過ちに気付いて改悛し熱心な仏教信者となりお釈迦様と教団を支えました。
 我が国でも戦国時代はそのような事件は度々ありました。織田信長も後継争いで弟を殺しましたが、戦国時代とは訳が違います。このような親子兄弟で殺し合うような悲劇は絶対にあってはならないことです。
【2007/01/23 01:48】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
いのちを語る④
 仏教徒として守るべき戒(いましめ)の一つに「不殺生戒(ふせっしょうかい)」があります。これは、文字通り殺生をしないと言うことです。
私達人間は、ものの命を奪わずには生きていけません。食べるということは命を頂くことです。食事の前に、合掌して「いただきます」とお唱えするのは食べ物に対して「あなたの命をいただきます」ということであります。また、食べ物が、自分の元に料理として届くまでには野菜でも肉でも魚でも、多くの人々の労力や手間、天地自然の恵があったればこそでありますから、その事に感謝してお唱えするのであります。
 お釈迦様は「生命を殺すことなかれ、生命を殺さざれば仏種増長す」と説いて、むやみな殺生を禁じられました。
タイやミャンマー、ベトナム、スリランカなどの小乗仏教の国の僧侶は蚊やハエ、虫けらでも殺さないように修行生活を送っています。それは、命を奪うという行為が「罪」であり、自らの心の中にある「仏心」に反する行為だからです。
 拙寺の檀家ではありませんが、毎年3月のお彼岸に必ず魚の供養をされる魚屋さんがあります。もう10年ほど前に魚の供養をされる理由をご主人(故人)に尋ねたことがありました。
 ご主人は「昔は市場で仕入れた魚を氷を入れて並べておけば売れた。ところが、最近では、生きた魚を求めるお客さんが多くなった。その為に、いけすに入れて生かしている魚を捌いてお客様にお渡ししなければ商売にならない。しかし、どうしても自分の手で『息の根を止める』ことに抵抗を感じる。だから、せめてもの償いと思ってこうしてご供養することにしました」と話して下さいました。
 人間は、何事でも続けておれば「慣れ」というものが出来てきます。魚の命を奪い捌くことに最初は抵抗感を持っていたとしてもやっている間に段々と慣れて罪の意識を感じなくなるのが大方の人間ではないでしょうか。それは、とりも直さず人間性が荒んで行くことなのです。
 テレビゲームには互いに殺し合うことで勝負を争うものが殆どのようですが、例えゲームの中であっても「殺す」ということに慣れて行く、命を粗末に扱う心理が芽生えてくるのではないでしょうか。これも、人間性が荒んでいくことだと言えましょう。
 逆に、命をいただいて生かされていることに感謝しながら日々の生活を送っている人は人間性が荒んで行くことはないでしょう。それが即ち「仏種増長す」と言う事なのです。
この世の中で誰もが一番愛しくてかけがえのない者は自分自身であります。であれば尚更「自分が愛しい」と思っている者の命を脅かしてはならないのであります。
 ここで、法律と道徳、仏教の違いを話しておきましょう。
法律では「悪いことをした者は罰する。殺したものは罰するからしてはならない」。道徳の世界は、「命を大切にしなければならない。殺してはならない・悪いことをしてはならない」であります。
仏教では「殺すことはできない。悪いことはすることが出来ない」であります。つまり、悪いことをすることが出来ない人間をつくることが仏教の目的の一つであります。
 
【2007/01/20 22:28】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
映画「新あつい壁」クランクイン
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20070120014336
19日午後4時から菊池恵楓園でクランクインの発表会見がありました。私も事務局世話人として当初から携わっております。多くの方々にご協力いただきここまで来れました。感謝します。ただ、まだ八万枚程の製作上映協力券を販売しなければなりませんのでご協力いただきますようお願いします。一枚千円です。
 この映画の実行委員会のホームページはこのブログからリンクしておりますので御覧いただきたいと思います。この映画はは、ハンセン病差別の中で起きた不幸な事件をモチーフにしてハンセン病啓発映画として製作するものです。この件についても後日「いのちを語る」の中で取り上げたいと思っております。
写真は、挨拶をする工藤自治会長と中山監督です。上の写真の中央は、坂本克明実行委員長です。
いのちを語るはまた書きます。
【2007/01/20 01:47】 | 新あつい壁 | トラックバック(0) | コメント(1)
いのちを語る③
 12年前の今日、1月17日は日本人にとって決して忘れてはならない日になりました。早朝に阪神地方を襲った大地震「阪神淡路大震災」は突然に多くの人々を不幸のどん底に突き落とし多くの人々の命と財産を奪い去りました。
 前日、自分を大震災が襲い、多くの命が奪われることを誰が想像したでしょうか・・・正に、いのちとは儚いものです。
 昨夜は、京都市左京区で前途有望な20歳の大学生が何者かによって殺害されました。尊いいのちがかくも簡単に奪われてしまう・・・この社会は狂っているとしか言いようがありませんがこれが現実です。
 熊本刑務所で私が相手をしている服役囚は殆どが殺人事件を起こした人達です。今の教誨活動は「被害者の視点」から矯正教育に取り組んでいます。
 30代の青年と個別に話す機会がありました。彼は、ある観光地で観光旅行に来ていた20代の若い女性に暴行、殺害し金を奪ったという強盗殺人の罪で無期懲役の刑で服役しています。
 私は、彼に「君はここで生きていれば何時かは社会復帰することが出来る。家族の元へも帰れるだろう。だけど、君が命を奪った娘さんは、ご両親やご兄弟が、或いは恋人や友人がどんなに泣き叫ぼうと喚こうと帰ってくることはない。もし、君がその娘さんの命を奪わなかったら『ただいま・・』と言って我が家に帰り、土産話に花が咲いていただろう。年頃の娘さんだったから今頃は愛する人と結婚して可愛い子供さんができていたかもしれない。お父さんお母さんは、可愛い孫の成長を楽しみに一家団欒の生活があったのではなかろうか・・・こう考えてみると君が奪った命は娘さんの命だけではない。その御両親やこれから生まれてくる可能性のあった子供達、その子供達が成長して結婚し、また生まれてくる子供達、つまり無限の命を奪ったと言うことだ。君は、その娘さんのことを起きている間、一時も忘れてはならない。それが、君の務めだ」と話しました。
 人ひとりの命は単なるひとりの命ではないのです。地球上に生命が誕生してから一度として絶えることの無い命をいただき、更に無限の可能性を持った命であります。そして、この命を誰もが等しく幸福に生きていく権利を持っているのです。
人の命を奪うと言うことは無限の命を奪うことであり、決して許されることではありません。仏の世界から見ると、結局は自分自身の命をも奪うと言うことなのです。
【2007/01/17 23:22】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(1)
いのちを語る②
 去る8日の夜、映画「硫黄島からの手紙」を見に行きました。多くの若者達が、飲み水も食べるものも無く銃弾さえない島で戦い死んで行きました。中国大陸、東南アジアや太平洋の島々でも多くの悲惨な戦いが繰り広げられたそうです。
 太平洋戦争で亡くなった日本人は確か580万人、第二次世界大戦の犠牲者は2100万人だったと思います。かけがえのない命が悲惨な戦争によって奪われました。人間はいつまで愚かな戦いを続けるのでしょうか。毛沢東は「戦争は戦争をなくすためにやる」と言ったと聞いたことがありますが・・・だとしたら、この地球上から戦争が終わる時は人間が生きている限り来ないでしょう。
 なぜ、戦争の話になったかと申しますと、私自身が太平洋戦争で犠牲となられた多くの人々の命をいただいていると言う思いがあるからです。
 私の父は今年92歳になります。子供の頃、父から聞いた話によると、昭和16年、広島の寺へ養子に行く話しが合ったそうですが召集令状が来て入隊し、中国大陸を転戦し終戦を迎えたのが海南島だったそうで昭和21年3月にやっと復員したそうです。復員してみると、広島の町は20年8月6日の原子爆弾の投下によって廃墟の町となり行く予定だったお寺も消失しご家族も亡くなられていたそうであります。
その結果、この町に来て私の母と結婚することになったのであります。
もし、父が広島に行っておったとしたら、或いは戦死していたとしたら私はこの世に生まれてくることはありませんでした。
 終戦50年の年、平成7年の5月、初めて広島に行った私は、平和公園に祀られた慰霊碑や資料館の原爆の惨状を表す遺品の前で涙が溢れて止まりませんでした。私の命は、原爆や戦争で亡くなられた多くの人々の命と引き換えにいただいた命だと気付かされたのです。
 これは、私だけでなくこの世に生まれてきた人は全て多くの命をいただいて生まれさせていただいたと言うことでしょう。
 そのことをお釈迦様は、法句経の中で
 「人の生を受くるは難く やがて死すべき者の 今いのちあるは有り難し 御法を聞くは難く 御仏の世に出でますも難し」と説いておられます。
 人間として生まれてくることが如何に難しいことであるか、そしてその命には限りがあり生かされていることが有り難いと言うことです。
                                    つづく
【2007/01/17 01:12】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
いのちを語る①
 私の拙いブログを読んでいただいている皆さん有難うございます。中には、私が書いた内容に対して批判してやろうと身構えて読んでおられる方もあるかもしれませんが・・・お疲れ様と言っておきましょう。
 今夜から何回かに分けて「いのち」について書いてみたいと思います。
 2年前の暮れの討論番組の中で青年が「どうして人を殺してはいけないんですか?」という質問をしたそうです。
さて、このブログを読んでいるあなたはどう答えますか?
恐らく、大方の人が答えに窮するのが本音ではないでしょうか。実際、当日の番組の中では納得できる回答を誰も出来なかったそうです。
 私は、刑務所の教誨師として罪を犯して服役している人達に法話をし時には相談に乗っております。熊本刑務所の被収容者は比較的重い刑の人が多く10年前に教誨師に就任した当時は私が生まれる前から服役しているおじいさんもいました。腰が曲がっていましたが座禅会にも参加し熱心に話を聞いていました。しかし、やがて居なくなりました。長年服役していましたから引受人もなく医療刑務所へ行ったようです。
 同じ時間を生きているというのに刑務所の中で人生の大半を過ごすとは「虚しい人生」と言わざるを得ません。
今この時、ブログを書く私が居ます、働いている人、酒を飲んでいる人、歌っている人、働いている人、恋人と愛をささやく人、病の床について苦しんでいる人、病人や怪我人の治療にあたっいてる人、愛する人との別れに涙する人、自ら命を絶とうとしている人、人の命を奪おうとしている人、飢えに苦しんでいる人、この地球上に60億人のそれぞれの瞬間があります。
 私達は、このかけがえのない命をどう生きたらいいのでしょうか?
 私は、人間が好きです。動物が好きです。自然が好きです。生きとし生けるものを愛しています。私はその為に多くの命をいただいて生まれさせていただきました。だからこの命は世の為人の為に使わなければならないと思っています。
 この命をどう使うか?今日からのテーマです。お楽しみに
【2007/01/15 23:36】 | いのち | トラックバック(0) | コメント(0)
政治家のモラルと現代社会
 またまた国会議員の政治資金規正法に抵触しそうな事件がが発覚した。教育基本法の改定やいじめ、自殺、教育問題で「社会規範の確立」とか「社会秩序の確立」と言っていた伊吹文部科学大臣他、郷土出身の松岡利勝農林水産大臣他閣僚、地元選出国会議員まで家賃の要らない議員会館に何千万円もの事務所費を支出していたがごとき不正を行っていたことが明るみに出た。
 出していないものを出しているが如く見せかけてお金を誤魔化す事を法律用語では「詐取(さしゅ)」と言う。れっきとした「詐欺」と言う不法行為である。そんな常識的な認識の無い政治家が世の中を動かしていて良くなる訳が無い。政治家のモラルの低下は社会のモラルの低下に繋がると言う事だ。
 子供は親の言うようには育たない。するように育つのだ。口先だけで良いことを言っている者ほど子供達から信用されない。逆に馬鹿にされるだけだ。
 子供達は大人の悪いところばかりを真似て可笑しな方へと進んで行く。現代がまさにそういう社会なのだ。子供達が悪いのではなくて大人が悪いと言うことだ。
 宇土市議会議員が選挙違反で逮捕され、略式裁判(被告人が裁判官の前で起訴事実を認める)で罰金70万円と公民権停止5年の判決が下った。その後、当該議員は正式裁判を求めて控訴した。それに対する市議会の対応は、新聞報道によると、3ヶ月の繰上げ可能な期日(1月8日)の翌日の9日に全員協議会を開いて「辞職勧告決議案」を決議し本人に伝えたそうだ。その結果、当該議員は辞職を決断し控訴を取り下げたと言う。
 本来ならば、略式裁判で有罪判決が出た時点で市議会の全員協議会を開催し辞職勧告決議案を出すべきではなかったか?
熊日新聞で「繰り上げ当選をさせない為の控訴だ」という市民の意見と次点で繰り上げになる可能性があった候補者の「自分が選挙違反を告発したと言う噂があり、自分を繰り上げ当選させないための行為だ」という談話が載っていたが一連の流れを見ていると、それなりの「シナリオ」があったと言われても仕方あるまい。
 このところ、県知事の収賄による逮捕劇が続いたが、彼らは何故、業者の要求を聞かざるを得なかったのか?また、収賄と言う汚職に手を染めたのだろうか?
それは、先ず、選挙に多額の資金が必要だったことだ。借金したり資金援助を受けると金を返すか借りを返すかと言うことになる。
 一度でも不正行為に手を染めると「同じ穴のムジナ」でお互いが抜き差しならぬ関係になると言うことだ。
 以前にも「毒饅頭」のことを書いたが、毒饅頭の毒は一度食ったら決して抜けない。従って、心にやましい事がある為に正論を主張することすらできないと言うことだ。
 勿論、そういう政治家を選ぶ市民・国民の責任も大きいと言わざるを得ない。
 今回の選挙違反事件で検挙された有権者が22人だそうだが、貰った商品券は3000円程度だと聞いている。それに対して、課せられる処罰は、おそらく多額の罰金と公民権停止5年という重たいものになるだろう。職業については承知していないが高い代償ではある。
 勿論、夕張市のようなことになると(ならなくても税金の無駄遣いをすると)もっと高くて重たい代償を払わされると言うことだ。
【2007/01/12 23:26】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
選挙違反による議員の辞職
 今朝の熊本日日新聞で10月に行われた宇土市議会議員選挙における買収事件で有罪になった議員が9日に辞職したことを知った。8日までに辞職していれば次点の候補者が繰り上げ当選になるはずだったが1日遅かった為に繰り上げにはならなかった。従って、当分の間は1人欠員のまま議会が運営されることになる。ここで、ひとつ考えておかなければならないことは、今回の選挙から定数を4人削減した為に18人である。当然、議員一人一人に負荷が掛かることが考えられる。そこへ来て更に一人少ないわけだから議会として市民の意見を汲み取って市政に反映させていけるのかどうか疑問である。
 辞職した議員の意図がどこにあるのかは分からないが少なくとも議会の機能が低下することは避けるべきではなかったろうか。
 議員の人数が少なければ少ないほど議員一人一人の能力も必要でありそのことが問われることになる。議員各位の自覚と努力に期待したい。
【2007/01/10 22:30】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
成人式騒動
 八日の成人式の日に一月遅れの成道会法要を修行し、暮れから続いていた多忙の日々が一段落と言った所です。
 七日、八日は全国各地で成人式も開催され騒ぎも起きたようです。沖縄では恒例になってしまった成人式後のパレードとかで騒ぐものが多数出て機動隊まで出動したとか・・・。広島では来賓挨拶の最中にステージに登ってプランターを壊して逮捕されたとか・・・。幼稚園児以下の新成人には困ったものです。
 そんな中で、嬉しい成人式のニュースは財政破綻した夕張市の91人の新成人たちが自分達の手で企画した成人式の話題でした。予算は僅か1万円。この話を聞いた全国の有志の方々がカンパしてくれて237万円もの資金が集まったとか。この内の20万円程度を使って残りは来年度以後の成人式の為に取っておくと言うことです。この町の成人たちは「夕張市は自分達の故郷だ・・必ず帰ってきてこの町を復興するのだ・・・」と誓いを立てていたそうです。この青年達こそ本当の成人式をやり、本当の大人になったのだと感激しました。
 多くの町で行政が成人式を主催していますが、もう行政が主催して行う成人式は終わりにして成人を迎える青年達自身の手で企画開催するべきではないでしょうか?
 大人になれない青年達を税金を使ってお祝いする必要があるのかどうか・・・疑問を感じます。
 また、飲酒運転で事故を起こして逮捕された新成人もいました。皮肉にも、早速、ニュースで実名報道されて成人を迎えたことを実感したことでしょう。
 また、宇土市の知的障害者の方々の通所作業所「銀河カレッジ」でも成人式が開催されました。3人の人が成人式を迎えたそうです。毎年、ご案内をいただき出席しておりましたが今年は、成道会と重なった為に出席できなくて祝辞だけを届けさせていただきました。新成人とご家族様のご健勝とご多幸をお祈りしたいと思います。
 
 
【2007/01/10 00:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
荒れ模様
 今日までに何とか檀家さんの年始回りが済みました。明後日は月遅れの成道会(お釈迦様のお悟りを祝う法要)をしますので明日の午後から準備です。にわかに荒れ模様の天気になってきましたから心配です。
 まして、明日は成人式が行われる市町村も多いようですから慣れない着物を着た新成人も大変でしょう。なんとか雨と雪が降らないことを祈りたいものです。
 最近の成人式は、騒いだり暴れたりする「成人」を迎える子供も多くて悩ましい限りです。体だけは一人前なのに心は幼稚園児かそれ以下という成人も多いようで困ったものです。「天気も成人式も荒れ模様」という見出しが新聞紙上を賑わせないことを願っています。
【2007/01/06 23:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
またまた正月から悲しい事件
 兄が妹を殺害してバラバラに・・・。こんな事件があって良い訳がないのに現実に起きる・・・。
 地獄絵巻の中に地獄の鬼が生前、悪事をして地獄に堕ちてきた人間の体をのこぎりで切ったり、斧で断ち切ったりする場面を見たことがありますが・・・まさに地獄絵巻そのものです。
 鬼ではなく同じ親から生まれてきた兄が妹の体を切り刻むのですから想像しただけでも具合が悪くなります。
 両親とも歯科医ということで家庭は豊で何不自由ない生活を送っていたでしょう。ただこの次男にとって辛いことは兄と妹と比較されることではなかったでしょうか。
 親が子供達の前で比較する発言をすると必ず優越感と劣等感を醸成します。その心が一方を非難、攻撃する言葉となって現れたときに言われた方は怒り、憎しみの心が芽生え、時として暴発するのです。
 まして、「いのち」の尊さ、「いのち」を知らないというより教えて貰っていない子供達にとってはゲームの世界と現実の世界が区別がつきませんからゲームの中の修羅道の世界へ躊躇することなく入り込んでしまうのです。
 こんな浅ましい事件が次々に起こってくるのは親が親として「人」としての教育を受けていないし、子供に対してもしていないからでありましょう。
 「飽食暖衣 逸居して教えざるは 即ち禽獣に近し」という孟子の教えが浮かびます。
 「ブランド物の服を着て美味しい物を食べていても 怠けて人としての道を教えなけれは(学ばなければ)禽獣(けだもの)と同じだ」という意味ですが子を持つ親として肝に銘じるべき教えです。
 
【2007/01/05 01:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
年始回り
 2日は兼務している西安寺(松原の観音様)の信者さん宅へ年に一回の年始回りでご祈祷して回りました。
 明日からは法泉寺の年始回りです。5日までかかります。
 なかなか大変な行事ですが昔から続けてきたことなので私の代で止める訳にはいきませんから頑張ります。3月まではゆっくりする間もなくバタバタと過ぎ去るのが現実です。
 今日も早朝から檀信徒の皆様のご多幸と世界の平和を祈願する大般若祈祷を致します。
【2007/01/03 01:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
謹んで新春のお慶びを申し上げます
 皆様、どんな正月をお迎えでしょうか?
 除夜の鐘を撞きに来られた方が100人程で例年より少なく、またお隣の神社の初詣も深夜のお参りが少なかったようで、夜が明けてから多くなったようです。
 先程、届いたばかりの年賀状を見ておりましたら29日に亡くなられた方からのものがありました。
 30日に私がお葬式をした55歳の女性であります。ご本人も新年を迎えることができないとは思っておられなかったろうと思います。
誠に残念なことでありました。
 世は無常です。常に変化して止まない。どんなことが起こるか分からない、「一寸先は闇」と申しますが当に明日の命さえ保証されないのであります。
 今年はどんな年になるのか・・・お互いに今日の1日を大切に、そして出会いを大切に生きて行きたいものです。
 皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。        合掌
 
【2007/01/01 11:53】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)


藤井慶峰の日々を綴るブログです。法泉寺のHPへ

プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
(著書)美しい地球と未来を子供たちに ㈱ぱんたか刊 1300円 この本を送料・税込み1000円で差し上げます。

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