「菊池医療刑務所を人権擁護の砦に」署名活動にご協力ください。
 全国で唯一の「ハンセン病療養所入所者専用」の刑務所が熊本県合志市の菊池恵楓園の隣にありました。
平成8年3月31日の「らい予防法」の廃止にともなって使用は中止されましたが建物は残されています。

 この刑務市の施設を残して「人権擁護の砦にしよう」という運動をしています。
その為に署名活動をしておりますので是非、ご協力ください。

 署名用紙は、事務局の国宗直子弁護士のホームページからダウンロードできますのでよろしくお願いします。
国宗直子HP
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【2010/07/26 08:03】 | ハンセン病 | トラックバック(0) | コメント(0)
菊池恵楓園ボランティアガイド養 成講座②




 写真は、火葬場の跡、隔離の壁と堀、隔離の壁です。

療養所の周囲はコンクリートの壁で外部と隔絶されていました。
壁の高さは2.4メートル、壁の内側には、巾2メートルの堀があって逃げ出せないようにしてありました。
  療養所はひとつの「村」を形成していましたから、亡くなった人も療養所の中で入所者の手によって火葬されていました。

ハンセン病をテーマに創られた映画「あつい壁」と「新 あつい壁」と言う中山節夫監督の映画がありますが、あつい壁は
①社会と隔絶する壁。
②らい予防法と言う法の壁。
③国民の意識に刻み込まれたハンセン病に対する偏見と差別です。
 らい予防法は平成8年3月31日で廃止されましたが「差別のあつい壁」は今も尚、厳然として元患者やその家族、親族の前に立ちはだかっています。

「もう いいかい 骨になっても まあだだよ」と入所者が詠まれた川柳がありますが、納骨堂には死んでも故郷へ帰る事のできない3千人もの人々が眠っています。(全国の療養所には2万数千人が眠っています)

 我が国のハンセン病政策は「絶対隔離」と「絶滅政策」でしたから生きても死んでも「退所」できなかったのです。稀に、ご遺族が遺骨を引き取るのですが多くの場合引き取って貰えなかったのです。

「療養所」と言う施設で火葬場や納骨堂があるのはハンセン病の療養所だけです。
ハンセン病については、本ブログのカテゴリー「ハンセン病」でも連載していますのでご覧いただければ幸いです。
【2010/07/26 07:22】 | ハンセン病 | トラックバック(0) | コメント(0)
菊池恵楓園ボランティアガイド養 成講座①






 今日は、朝9時から17時まで菊池恵楓園でボランティアガイドの養成講座がありましたので参加しました。
私は、一応、ハンセン病人権問題の専門家ですが講座ではまだまだ学ぶ事がありました。
 写真は、上から国立の施設の中に極めてまれな宗教施設。これは、入所者の心を落ち着かせる為に各教団の礼拝施設(祭壇や仏壇)を設けたものです。やすらぎ会館の中にあります。
 次は、納骨堂です。死んでからも帰ることができないハンセン病問題の根深さを物語っています。
 次は、隔離門の跡の記録です。ここにかつて門があり一度入ると出ることを許されませんでした。
 次は、監禁室とその周囲を取り囲んでいたレンガ塀。次は、監禁室です。
反抗的な人、不満を言う人を監禁室に閉じ込めて食事も一日おにぎり一個と梅干し一個程度しか与えず懲らしめたそうです。園長には、懲戒検束権が与えられていましたから簡単に入れられたそうです。

(写真をクリックすると大きくなります)
【2010/07/24 23:19】 | ハンセン病 | トラックバック(0) | コメント(0)
教師達の人権学習
 今日は、熊本市立松尾東小学校の教職員の人権学習会に講師として行って来ました。
先生達は、子供達の授業が終った後の午後3時半から4時50分まで熱心に人権学習に取り組まれました。
 研修のテーマは、ハンセン病に関する人権問題についてでした。
最初に私も製作委員として携わった曹洞宗人権啓発ビデオ「ハンセン病問題、私たちが問われているもの」を見ていただき、私自身が関わった具体的事例を挙げて啓発活動の重要性を話しました。
 療養所で暮らしておられる方々は平均年齢も77歳を超えようとしています。
1人でも多くの入所者の方が故郷へ自由に帰れる日が来る事を願わずにはおれません。
【2008/03/03 21:38】 | ハンセン病 | トラックバック(0) | コメント(3)
いのちを語る⑳人間回復への闘い
 昭和37年9月14日、こうしてBさんは死刑台の露と消されたのです。人間として扱われること無くボロギレのように扱われて無念の死を遂げたのです。
 ハンセン病患者、元患者の方々は、偏見と差別の為に一人の人間として生きることさえ許されなかったのです。だから、私も敢えて「人間回復への闘い」と言うのです。
 隔離された療養所の中で生きる希望の一つが愛する人と出会い支えあって生きていくことでした。
 菊池恵楓園のEさんは60代半ばの女性です。小学生のときに発病して入所、プロミンを注射したところ忽ち完治したそうです。後遺症は手の指先がほんの少しだけ曲がっている程度で殆ど気がつかない程度です。しかし、「らい予防法」には退所規定がありませんので故郷へ帰ることは許されませんでした。
 療養所の中で勉強し、高校は岡山の長島愛生園の中の高校へ行き卒業後、再び菊池恵楓園に帰ってきたそうです。そして、21歳の時に愛する人と巡り合い結婚、そして妊娠。普通の夫婦であれば当然の喜びを分かち合う出来事ですが、園内で出産することは許されませんでした。
 Eさんは「産むことは許されないと分かっていましたが、ひとりの女性として『妊娠』という体験をしてみたかったのです。一日でも長く愛する人との間にいただいた小さな命をお腹の中で育てたかった」と話してくれました。
 そして、4ヶ月目に入る前に園長先生から呼ばれて堕胎を勧められました。誰もがそうしていましたから当然のことと受け止めて手術台の上に上ったそうです。麻酔が切れて看護婦長さんから「今、赤ちゃんが下りましたよ」と言われた時に自分のお腹に宿った小さな命を奪ってしまったことの罪と悲しみで涙が溢れ泣き続けたそうです。
 らい予防法と優生保護法は、ハンセン病者、元患者に対して出産を許さなかったのです。
遺伝もしない、感染も極めてしにくい、感染しても発病する人はまれであり。薬で直ぐに治るようになったのにも関らず、避妊手術、断種手術、堕胎手術が当然の如く行われたのです。
 Eさんは「あの子が生まれてきていたら40代半ばになりますからそれくらいのお父さんやお母さんをみると『こんな立派なお父さんに、或いは、お母さんになっていたかもしれない。こんな可愛い孫ができていたかも知れない』とまた涙が出てくるんです」と話してくださいまし
た。
 国のハンセン病政策は、ひとりの女性として、母親として生きる権利さえ奪ったのです。
 先頃、表面化した「胎児標本」の問題は、堕胎させた胎児の体をホルマリン漬けにして標本として保管していたものです。人間として許される行為ではないと思います。
 人間回復への闘いはまだまだ続きます。
 
【2007/02/22 17:48】 | ハンセン病 | トラックバック(0) | コメント(0)


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プロフィール

藤井慶峰(ふじい けいほう)

Author:藤井慶峰(ふじい けいほう)
1954(昭和29)年5月、宇土市生まれ。
 ペットは愛犬レオとルナ(10年前に捨てられていた雑種犬ですが気が利く我が家の番犬です。レオはオスで門番をしています。お参りの人や用があって来た人は笑顔で迎えますが、怪しい人には吠えます。但し、夜は見知らぬ人には吠えますのでご注意。(噛みはしません)八幡大学第2部法律学科卒業、法泉寺26世住職 大本山総持寺布教師 曹洞宗九州管区教化センター布教師 九州四十九院薬師霊場会理事 熊本市人権啓発推進総室講師 保護司 熊本刑務所教誨師 平成義塾熊本前塾長 ハンセン病市民学会宗教部会世話人 人権啓発映画「新あつい壁」製作上映実行委員会事務局世話人  環境ネットワーク熊本会員 宇土の文化を考える市民の会世話人 不知火竜馬会会員 自殺防止ネットワーク風熊本相談所 
 宇土市議会議員(3期目)

(好きな言葉)希望は高く頭は低く   実るほど頭の下がる稲穂かな    身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し
(尊敬する人)お釈迦様  マハトマ・ガンジー  横井小楠  坂本竜馬  吉田松陰 田中正造 西郷隆盛 小松帯刀 天璋院篤姫
(著書)美しい地球と未来を子供たちに ㈱ぱんたか刊 1300円 この本を送料・税込み1000円で差し上げます。

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